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    浅草の隠れスポット10選!ニッチな場所を観光したい方におすすめ。

    浅草の隠れスポット10選!ニッチな場所を観光したい方におすすめ。

    浅草のニッチなスポットを巡ってみたい、と言う方は、こんな場所はいかがでしょうか。浅草の観光ブックには掲載されていないかもしれませんが、浅草寺の中にも、街中にも、見慣れないスポットがあるはずです。

    浅草のこんなところにご利益が!穴場のパワースポット

    浅草の歴史的なものは浅草寺や浅草神社だけではありません。ちょっとした石碑や史跡を知っていると、より観光が楽しくなりますよ。

    夫婦狛犬:番傘の下で寄り添う可愛らしい狛犬

    • 銅像
    • 住所:東京都台東区浅草2-3-1

    三社祭で知られる浅草神社の境内の片隅、鳥居をくぐって右側奥に2体が寄り添って設置されている夫婦狛犬。神の使いであり神社の境内を守護する狛犬は本殿の前に左右に離れて置かれる場合が多いですが、ここでは珍しく2体が並んで置かれています。赤い番傘の下、相合傘で並ぶ夫婦狛犬は、良縁、恋愛成就、夫婦和合の願いをこめて祀られており、台座正面には所願成就の碑文が刻まれています。製作年代は不明とありますが、見るからに古そうで、頭にはめ込み式の角があったようですが、現在では失われています。境内の隅の方にあり見逃してしまう方も多いと思いますが、愛らしく微笑ましい夫婦狛犬の姿、浅草神社を訪れた際にはぜひとも探してみてください。きっと御利益がありますよ。

    浅草不動尊:撫で仏のご利益がある穴場パワースポット

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    • 寺院
    • 住所:東京都台東区浅草2-3-1

    浅草寺宝蔵門の西側、五重塔の前にある小さなお寺は浅草不動尊です。浅草寺の案内に載っていないのは、こちらは浅草寺のお堂ではなく、独立した天台宗のお寺だから。浅草不動尊と書いた提灯が目につきますが、正式には宝光山大行院と言います。多くの人が仲見世から宝蔵門通って浅草寺本堂へと向かうため、このお不動さんは見落としがちで参拝者はあまりいませんが、関東三十六不動霊場の第二十二番目であり、厄除け、開運のご利益があります。お堂の左手には撫で仏があり、具合が悪い場所を撫でると治癒すると言います。なるほど、よく見ると像のあちこちが撫でられてピカピカに光っていますね。参道から少し逸れただけですが人も少なく、ゆっくりお参りできるのもありがたいです。

    本山東本願寺:大谷派から独立した広大な寺院

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    • 寺院
    • 住所:東京都台東区西浅草1-5-5

    葛飾北斎の富嶽三十六景にも描かれた浄土真宗東本願寺派の本山は西浅草にあります。かつては真宗大谷派の寺院でしたが、昭和63年に独立しました。現在でも境内は4000坪以上ありますが、江戸時代には15000坪もある広大なお寺だったそうです。幕末には彰義隊の結成式が行われるなど、その活動拠点のひとつとなりました。関東大震災で本堂は焼失し、昭和20年にも空襲で大きな被害を受けて、本堂が現在の形となったのは昭和28年です。この本堂は誰でも自由に参拝できますし、朝には読経や法話も聞くことができます。また境内には浄土真宗の開祖・親鸞聖人、中興の祖である蓮如上人の像も。観光客でごった返す浅草寺からわずかな距離ですが、こちらは信徒さん以外は訪れる人も少なく、静かな時間が流れています。
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    願掛けたぬき:たぬき通り商店街の可愛い幸運スポット

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    浅草のたぬき通り商店街。もんじゃ焼き屋さんや飲み屋さんがある小さな通りなのですが、ここには全部で12匹のたぬき像があり、それぞれに夫婦仲、金運などの役割があります。仲見世通りなども近いので、お散歩がてら寄ってみるのもおすすめですよ。
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    浅草にこんな石碑が?史跡や像を巡ろう!

    浅草迷子しらせ石標:江戸時代の迷子掲示板

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    photo by 東京教育委員会

    • 石碑
    • 住所:東京都台東区浅草2-3-1

    浅草寺本堂の前、五重塔側にある石標は、江戸時代に迷子の情報交換をするのに使われたしるべ石。正面には「南無大慈悲観世音菩薩まよひこのしるべ」と彫られており、側面には「しらする方」、反対側には「たずぬる方」と記されています。ここに保護した人や尋ね人の特徴などを書いた張り紙をして人を探したのですね。もともとは新吉原の楼主であった松田屋嘉兵衛が安政の大地震で亡くなった遊郭の人たちを弔うために建てた石碑だそうです。かつては宝蔵門の前にありましたが、第二次世界大戦の時に倒壊し、現在のものは昭和32年に復元されたもの。江戸時代には人が集まるような場所にこういった石標があったようで、現在でも都内にいくつか残っています。地元の人にもあまり知られていない穴場スポットですね。

    鳩ポッポの歌碑:童謡に描かれたかつての浅草の情景

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    photo by 浅草寺

    • 石碑
    • 住所:東京都台東区浅草2-3-1

    浅草寺の境内、本堂に向かって左側にある鳩ポッポの歌碑。歌詞を見ると「おや?」と思う人が多いでしょうが、有名な「ぽっぽっぽ、鳩ぽっぽ」の歌詞で始まるあの曲ではありません。この石碑には東くめ作詞、滝廉太郎作曲で明治33年に作られた童謡「鳩ぽっぽ」の歌詞と楽譜が記されています。東くめは「お正月」「雪やこんこん」など子供のための童謡を多数手がけており、滝廉太郎は「荒城の月」で知られる明治期に日本を代表する作曲家です。二人はコンビを組んで数多くの同様を作りました。かつては浅草寺境内では鳩のエサ用の豆が売っており、鳩がたくさん居たものでした。この曲が作られた当時も、歌詞にあるように子供たちが鳩にエサをあげていたのでしょうね。

    映画弁士塚:かつて活躍した弁士たち100人以上の名を刻む

    • 石碑
    • 住所:東京都台東区浅草2-3-1

    浅草寺の境内の西側にはいくつもの石碑や塚が集まっている新奥山という一画がありますが、その中にあるのがこの弁士塚です。かつての無声映画時代には映画スター並みの人気を誇った活動弁士たち。この石碑は、かつて自らも弁士として活動し、後に新東宝社長を経て大蔵映画を設立した大蔵貢が中心となり、昭和33年に建立されました。吉川英治作「宮本武蔵」のラジオ放送で一大ブームを巻き起こした徳川夢声を筆頭に、100人以上の弁士の名前が刻み込まれています。かつての浅草には映画館がずらりと並んでおり、ここに刻まれた弁士たちも浅草の映画館で大いに活躍されたことでしょう。しかし映画がトーキーの時代になり、弁士たちは活動の場をなくしてしまいました。そんな弁士たちの往時の活躍を今に伝える、映画好きな方にはぜひとも訪れて頂きたい場所です。

    戦災いちょう:戦災を生き延びた浅草寺の御神木

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    photo by 浅草・戦災樹木を伝える運動

    • 御神木
    • 住所:東京都台東区浅草2-3-1

    浅草寺の境内、本堂に向かって右手前にある大きなイチョウの木は、源頼朝公が浅草寺を参拝した際に植えたという伝説を持つ浅草寺の御神木です。昭和5年に天然記念物の指定を受けましたが、第二次世界大戦時の東京大空襲で被災。その大半が焼失し、天然記念物の指定を取り消されてしまいました。それでも残った幹から新たな枝を伸ばし、現在でも毎年緑の葉をつけます。冬の葉が落ちている姿は上部が吹き飛んでいてちょっと痛々しいですが、太い幹は浅草寺の御神木にふさわしい堂々たる姿です。樹齢は800年以上と言われており、あの戦災をくぐりぬけ生き延びたご神木として人々に慕われ続けています。長きに渡りこの場所で浅草を見続けてきたその威風堂々とした姿を一度は目にして頂きたいですね。

    初代市川猿翁句碑(しょだいいちかわえんおうくひ):二代目猿之助として活躍した猿翁の句碑

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    • 石碑
    • 住所:東京都台東区浅草2-3-1

    浅草寺本堂の東側、浅草神社の境内にある句碑。浅草千束に生まれた二代目市川猿之助は、53年間に渡り名乗った猿之助の名跡を孫に譲り初代猿翁を襲名。その際に呼んだという「翁の文字まだ身にそはず衣がえ」という句が彫られています。猿翁はスーパー歌舞伎で知られる三代目猿之助の祖父であり、自らは二代目猿之助として長きに渡り活躍しました。歌舞伎で数々の当たり役をこなしたほか、舞台や映画でも活躍するなど、歌舞伎界に新風を吹き込んだ役者さんです。しかし猿翁襲名披露を目前にして病に倒れ、猿翁としては舞台を踏むことはありませんでした。浅草で生まれ育った猿翁ですが、「まだ翁の名前は自分には早い」と詠んだ彼の心情はどのようなものだったのでしょうね。句碑を前に思いを馳せるのも良いかもしれませんよ。

    瓜生岩子像(うりゅういわこぞう):幕末~明治時代の社会事業家、瓜生岩子の像

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    • 銅像
    • 住所:東京都台東区浅草2-3-1

    浅草寺の西側、新奥山として整備された区域にはたくさんの石碑や記念碑がありますが、その中の一つがこの瓜生岩子の坐像です。1829年に現在の福島県に生まれた岩子は、幕末から明治にかけて活躍した社会事業家で、社会福祉や慈善事業の分野で大きな功績を残しました。孤児や貧困者を救済、教育し、またそのための施設を設立。さらに災害の被災者を救済するなど、社会的弱者のための様々な活動に生涯を捧げました。その功績は高く評価され明治29年には女性としては初めての藍綬褒章を受賞しています。明治34年に大熊氏広により製作されたこの坐像は晩年の岩子の優しそうな表情を今に伝えてくれます。案内板には岩子の生涯も綴られていますから、ぜひとも日本の社会福祉事業の母の姿に触れてみてください。

    暫像(しばらくぞう):九代目市川団十郎の十八番「暫」の迫力ある姿

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    • 銅像
    • 住所:東京都台東区浅草2-3-1

    浅草寺の裏手の広場にある大きな銅像は、十八番「暫」を演じる九代目市川団十郎の姿。明治期に活躍した名優九代目市川団十郎は、写実的な演出や正確な時代考証で歌舞伎を大衆娯楽から芸術の域に高め、明治歌舞伎の隆盛を生み出した立役者の一人です。古典を大切にしながらも新たな創意工夫を歌舞伎に取り入れ、また優れた後進を数多く育てて後の歌舞伎界にも大きな影響を与えました。像は大正8年に新海竹太郎により浅草寺に建てられましたが、第二次世界大戦時に金属回収で供出され、一時は姿を消しました。現在の像は十二代目団十郎の襲名をきっかけに昭和61年された物です。迫力ある表情と今にも動き出しそうな力強いポーズは、歌舞伎ファンならずともぜひ見ておきたいですね。

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