
浅草の雷門周辺で見かける人力車は、もともと明治時代の交通手段でした。1870年に東京府へ製造・営業の許可を願い出た和泉要助ら三人の記録から、観光の乗り物になるまでをたどります。
発明と普及、浅草で乗る前の確認
| 発明の記録 | 起源には諸説あります。国立公文書館は和泉要助・鈴木徳次郎・高山幸助の三人を紹介しています。 |
|---|---|
| 営業の始まり | 1870年に東京府へ製造・営業許可を願い出、日本橋で営業を開始。浅草が発明地という説明ではありません。 |
| その後 | 明治に普及し、1896年に全国の保有台数が約21万台のピークを迎えたと都の博物館資料が紹介。1887年にすべてなくなったわけではありません。 |
| 現在の利用 | 浅草では観光のコースを楽しめますが、この記事は特定会社の料金・予約ページではありません。 |
さらに詳細を表示(発明・観光での利用)
| 乗る前に | 人数、乗車時間、コース、総額、降車場所を事業者に確認。1人価格か1台価格かも区別し、料金に含まれる内容を聞きましょう。 |
|---|---|
| 子連れなど | 子どもの同乗、雨天対応、段差や乗降の補助は会社・車体で異なります。昔の車体の説明を現在の利用条件にしないように。 |
| 史料の読み方 | 古い写真は当時の乗客・車体・服装の記録。観光人力車の設備や速度を同じものとして断定する資料ではありません。 |
| 参考資料 | 国立公文書館の人力車発明の記録/東京都の博物館資料・人力車。 |
情報確認日:2026年10月6日。発明や普及の説明は公的資料で確認し、古写真と現在の観光サービスを区別しています。
浅草の雷門前の交差点には、多くの人力車の客引きがいるよね!人力車に乗って浅草をぐるりと回って…というのもなかなか素敵だと思うよ。特に、浅草に関する歴史やうんちくを色々教えてくれるから、思い出に残るはず。そんな人力車だけど、そもそもどんな歴史を持っているのか見てみよう。
目次
明治の交通をたどる|人力車の歴史
「人力車が最初に生まれたのは、どこ?」
「人力車は、日本橋で誕生したんだよ。人力車が登場するまで、人々の交通手段と言えば、平安時代から続く牛車や籠だったんだよ。でも昔は、牛車や籠などは、自家用を目的としたものではなかったんだ。だから、所有している人も少なかったし、自家用としては、広く普及されなかったんだ。」
「人力車はどうやってはじまったの?」
「営業人力車の始めは、複数人で座る形で始まったんだ。これは乗合人力車というんだ。最初はシンプルな造りをしていたんだけど、屋根をつけたり日除けがついたりして、やがては六人乗りも生まれたんだ。」
「人力車は多くの人々に親しまれて、利用されたのね。」
「しかし、乗り心地がよくなかったんだ。複数人で乗るからね。しかも俥夫もたくさん必要となるから、政府に重税を課せられてしまって、乗合形式の衰退と、人力車全体の消滅は別だよ。人力車の全国保有台数はその後も増え、1896年にピークを迎えたと都の博物館資料にあるんだ。」
「では、どうやって現代の腰かけスタイルの人力車が誕生したの?」
「諸説あるんだけど、定説としては 和泉要助・鈴木徳次郎・高山幸助の3人が発明したとされているよ。3人は連名で1870年3月に東京府へ製造・営業の許可を願い出たんだ。」
「そして許可がおりたのね。」
「3月24日に政府から許可がおりたよ。だから、3月24日は人力車発祥の日となっているんだ。…ただし、条件があったんだ。」
「どんな条件?」
「それは、人力車の車体は、素朴に作り、華やかにならないようにしてほしいということと事故を起したときは厳しく処罰するなどの四か条の規則だよ。」
「そして3人は人力車の始めたのね!」
「そうだよ!発明者の一人である和泉要助が開いたのが出島屋要助商店の人力車なんだ。 和泉要助は、日本橋高札場付近で営業を始めたものの利用客は少なかったようだよ。」
「へー。便利なのにどうして?」
「初めは皆が恥ずかしがってしまったためだよ。そこで 和泉要助は、 家族や親戚に人力車に乗ってもらって近所を引いて回ったんだ。すると段々利用客も増え、わずか3、4年の間に人力車は普及したんだ。新しく人力車を引こく者は発明者の3人のうち1名から印を押してもらえなければ人力車を購入できなかったし、営業もできなかったんだ。」
「3人の事業は成功したのね。」
「しかし、人力車が普及にともない、専売出願のが立ち消えになるなど、全ての権限が剥奪されてしまったんだ。」
「人力車は、その後どうなってしまったの?」
「明治3年12月、人力車は大阪の移入に伴い全国への普及したんだ。大阪は、東京に次ぐほどだったんだ。」
「人力車は、どのくらいのスピードがでるの?」
「速度は車体、人数、道路やコースで変わるよ。歴史記事の数字を、浅草の観光サービスの走行速度として保証するものではないんだ。」
「人力車が普及すると、それまでの交通手段であった籠はどうなってしまったの?」
「人力車は、速さに加え、運賃が安かったため1万ほどあった駕籠は、3分の1程度に減少してしまったんだ。駕籠屋は、人力車の俥夫へと転向していったそうだよ。」
「人々は、どういう時に人力車を使ったの?」
「長距離を移動するのに使ったんだ。自分で人力車を雇いって旅をしたり、旅先で人力車を乗り換えて旅行したりというように利用したんだ。」
「人力車は、どこで作られていたの?」
「人力車は、東京銀座の『諸車製造所秋葉大助』で作られていたんだ。ここは、明治時代は最大の人力車製造工場だったんだよ。」和泉らが営業を開始した当初は、腰掛型、坐型、二輪、三輪、四輪、ちりとり型、だるま型など、いろんな種類の人力車があったんだ。秋葉大助は車体に漆を塗り、車軸にバネをつけるなどして、人力車を一新させたんだ。 そのおかげで乗り心地が快適になったんだ。 大助の作った人力車は、大阪では『大助車』と呼ばれ、好評だったんだ。 明治8年には現在の人力車に近い形になったよ。」
歩く観光と組み合わせるなら浅草の一人観光コースへ。両親と行く日は歩きすぎない浅草観光も参考に。
| 店舗名 | 人力車の歴史 |
|---|---|
| 住所 | 東京都台東区浅草周辺(歴史記事、特定事業者の店舗案内ではありません) |
| 営業時間 | 特定事業者の営業案内ではない。観光利用は選ぶ会社に確認。 |
| アクセス | 発祥は日本橋の記録、現在の観光例は浅草。両者を区別。 |
| 禁煙・喫煙 | 該当なし/喫煙条件は現地の案内に従ってください。 |
| 備考 | 情報確認日:2026年10月6日。発明や普及の説明は公的資料で確認し、古写真と現在の観光サービスを区別しています。 |





みんちゃんまん より:
女性 (30代)
2016/01/14 19:33
スカイツリーまで走ってくれます。浅草のことが何も分からなかったのですがガイドをしながらゆっくり丁寧に走ってくれるので好感が持てました。また、東京スカイツリーが全部見れる一望スポットの説明もしてくれるし、浅草の町中も走ってくれて思い出になりました。恋人でも親子でも楽しいと思いますよ。夜だとライトがすごく綺麗で恋人同士で行くと楽しいですよ。