浅草凌雲閣。浅草十二階とも呼ばれた日本初のエレベーター付き建物
浅草に、雲を凌ぐ閣(立派な建物)と呼ばれた建物があったのをご存知でしょうか?名前を凌雲閣、別名で浅草十二階とも言われています。
凌雲閣(浅草十二階)とは?建設年や所在地、料金を知ろう
明治20年代、高所からの眺めを売り物にした望楼建築がブームとなりました。そして1890年11月、浅草区千束町2-38に高さ52メートルの塔が建設されたのです。これが「凌雲閣」です。
名前は「雲を凌ぐほど高い」という意味で付され、浅草名物の1つとして多くの人の注目を集めました。また凌雲閣は12階建てであったことから、「浅草十二階」という別名でも親しまれるようになります。ちなみに10階までが赤レンガ造りで、11階と12階の展望塔は木造というユニークな構造をしていました。起案者は長岡の豪商、福原庄七で、基本設計者はウィリアム・K・バルトン(バートン)、そして土木工事監督は伊澤雄司であったという記録が残っています。
凌雲閣、日本で初めてのエレベーターはちょっと不安?
凌雲閣は電動式エレベーターが日本で初めて設置された建造物です。設計は電燈株式会社の技師であった藤岡市助と考えられています。12階という高さを売りとしていても、階段で上るようでは客足が伸びないという考えから、電動式エレベーターが導入されました。閣内中央につるべ式で2台設置されていたエレベーターは、1階から8階までを1分ほどで昇降したと言われています。しかし1892年に来日したアメリカ人貿易商,ロバート・ガーディナーは「手入れが行き届いていない電動エレベーター」と述べており、凌雲閣の最大の売りは多少の不安を抱えるものでした。
それでもこのモダンな高層建築物は浅草の顔として親しまれ、明治・大正期の「浅草六区名所絵はがき」には凌雲閣が度々描かれています。
ちなみに約130年の時間が経った現在において、日本一高いエレベーターは、スカイツリーの業務用エレベーター464.4m。
その他記録保持なエレベーターは以下の通り。(記事公開時現在)日本のスカイツリーも中々の高さがありますが、実は世界一のエレベーターも三菱電気が作っているのです。なんだか嬉しくなりますね。
- 日本最長エレベーター:スカイツリー 業務用エレベーター464.4m
- 日本最大のエレベーター:上東京科学技術館の業務用エレベーター8,100人乗り
- 世界最速エレベーター:上海中心大厦/分速1230メートル(三菱電機)
- 世界最長エレベーター:上海中心大厦/578メートル(三菱電機)
ちなみに広州周大福金融中心に日立が制作しているエレベーターは1260m/分とのことで、すが、まだオープン前ということで三菱の記録を掲載しておきます。
凌雲閣の入場料はスカイツリーと同じくらい!?
当時の入場料は大人8銭、子供4銭で、チケットには、「江湖(こうこ/世間)の諸君、暇のある毎(ごと)にこの高塔の雲の中に一日の快を得給え」と書かれていました。ちなみにそばの値段が1銭〜2銭。今の価値の約3800倍と言われているので、子供1520円、大人3040円、と言ったところでしょうか。スカイツリーの料金が2,570円と考えると、なんともバランスが取れていて面白いですね。
内部の様子は時代によって多少の変化があったものの、開場時は世界各国、そして日本各地の産物を販売する46の店舗が2階から7階までを占めていました。またエレベーターが停止する8階には休憩室があり、9階は美術品などを展示するイベントフロアとして使われており、10階から12階までが眺望室となっていました。この眺望室には30倍の望遠鏡が設置されており、1銭を払うと使用することができました。
凌雲閣の歴史(建設から崩壊まで)
先にも触れたように、凌雲閣は約10ヶ月の建設期間を経て1890年11月に完成しました。この建造物は浅草公園地第六区内建物高さ制限に抵触せず、尚且つ高さ32.8メートルを誇る木造の富士山、「富士山縦覧場」が台風の影響で1890年2月に取り壊された後であったことから、浅草の人たちから注目を集めることになります。「日本のエッフェル塔」などと呼ばれ、開業当時は多くの見物客で賑わいました。開業してから最初の日曜日となった11月18日には、約6,800人が訪れることとなり、翌24年の正月の三ヶ日には、延べ2万人を越す人出がありました。しかしエレベーターが度重なる故障により、たった半年間で閉鎖されると、客足は一気に減少していきます。それに伴い、凌雲閣は経営難に陥ることになります。
関東大震災での崩壊
それでも人気再燃を狙って東京中の芸者の写真を張り出して「東京百美人」という美人コンテストを行ったり、階下に「十二階演芸場」を造るなど、様々な試みがなされました。加えて1914年にはエレベーターが再設され、来客数は増加します。それでも経営の建て直しには至らず、1920年頃には凌雲閣周辺の風紀が徐々に乱れていきました。それに伴って来客数は再び減少していくことになるのです。そしてこの状況に追い打ちをかける出来事が生じます。それは1923年9月1日に発生した関東大震災です。
当時、地震の影響を受けて建物の8階部分より上が崩壊しました。このとき頂上展望台付近にいた11〜2人の人が命を落とすこととなります。凌雲閣はその後も経営難が続き、同年9月23日、陸軍工兵隊により爆破解体されました。浅草のシンボルだったこの建造物は、わずか33年間で姿を消すこととなったのです。
凌雲閣の石碑や現在の跡地
現在、凌雲閣の跡地にはパチンコ店が建てられています。そして2004年12月、凌雲閣史蹟保存の会が当該パチンコ店の入口付近に「浅草凌雲閣記念碑」を設置しました。そこには「この地、台東区浅草2丁目14番5号辺りに浅草凌雲閣(通称:十二階)が完成。」と記されています。凌雲閣が爆破解体された後、同地に「凌雲座」という劇場が建設されました。しかし凌雲座は数年で看板を下ろし、その代わりに「昭和座」が誕生します。その後、昭和座は「浅草東映」となり、後に現在のパチンコ店が建設されることになります。
2018年2月に行われたビル工事の際に基礎部分のレンガと八角形の土台と思われるコンクリートが発見され、凌雲閣は再び人々の注目を集めることとなりました。そこで収集された瓦礫は結局処分されてしまうということで、観に行ってもらった人もいたようなのですが、私が訪れた時にはすでに瓦礫は撤去済み・・・残念です!
凌雲閣の時代、当時の浅草の様子や当時の浅草の様子
江戸時代、庶民が支配階級よりも高い建物を建てることは厳しく禁じられており、このような決まりは庶民の高みへの憧れを強めるものとなりました。そして明治時代に入ってからこの禁制が解かれると、登高遊覧施設が相次いで登場しするようになります。凌雲閣はまさにこのような時代の流れが生み出した建造物だったのです。
高所からの眺望に加えておしゃれなレンガ造りであること、そして勧工場やエレベーターの設置など、目新しいものが詰め込まれた凌雲閣は多くの人が興味を抱く場所となりました。
浅草の活気の衰退と“一二階下”
しかし、その人気が落ちるにつれ、凌雲閣周辺の浅草の様子は徐々に変化していきます。塔下一帯には銘酒屋街が広がり、見世物小屋があり、ドヤ街でもあり、怪しげな雰囲気を醸し出すようになります。
この場所は「十二階下」と呼ばれるようになり、地方から見物客が訪れるようになるほど有名になります。後に石川啄木や竹久夢二などもその魅力に引き付けられて足を運ぶようになりますが、治安はお世辞にも良いとは言えませんでした。華やかな浅草のシンボルであった凌雲閣は、それとは全く逆の印象を与えるところとなったのです。
日本の昔の高い建物
雲を凌ぐと言われた凌雲閣ですが、実際、日本にあった高い建物とはどのようなものだったのでしょうか?
凌雲閣よりも約6メートル高かったとして有名なのが江戸城の天守閣で、高さは58.6メートルでした。また凌雲閣よりも800年ほど前に京都に建てられた八角九重塔は、高さが約81メートルありました。
凌雲閣が爆破破壊されてから9年後の1932年、浅草国際通り・雷門一丁目交差点に凌雲閣を模した「仁丹塔」という広告塔が建てられます。しかしこの塔は大東亜戦争の金属供出のために1942年の解体されてしまいます。その後1949年に再建されるも、1986年7月10日に老朽化によって再び解体されることになります。この仁丹塔は高さが45メートルありました。
大阪の凌雲閣
浅草の凌雲閣よりも1年早く建設されたのが大阪の凌雲閣です。1889年、大阪の北野茶屋町の遊園地「有楽園」内に建てられたこの建造物は、高さ39メートルの9階建てで、「大阪のエッフェル塔」と呼ばれるほどの人気を得ていました。1、2階は五角形、そして3階からは八角錘台の形をしており、その上は丸屋根の付いた展望台となっています。
大阪の凌雲閣が完成する前年である1888年には、浪速区日本橋の遊園地「有宝地」内に高さが31メートルで5階建ての「眺望閣」が造られました。この眺望閣の存在により、凌雲閣は「キタの九階」の異名を持つようになります。ちなみに眺望閣は「ミナミの五階」と呼ばれていました。
現在、大阪の凌雲閣は存在しないものの、「梅田東生涯学習ルーム体育館」(旧梅田東小学校跡地)の門前に、その碑が残っています。
さて、浅草にあった凌雲閣について紹介していきました。33年という短い間しかなかったものの、絵画などでその姿を今に伝え、建築などをすると残りが現れたりと、今もなお存在を意識させてくれる凌雲閣。浅草は今も観光地として人が多いエリアですが、昔の姿を想像して歩いてみるのもまた、面白いのかもしれません。
浅草の、メインなお話ではなくちょっとそれたものが好きならば、こっちの記事もぜひ観てみてくださいね。
https://asakusakanko.com/subculture/