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    人間失格にも登場する!浅草神谷バーと太宰治

    ※2020年11月追記
    太宰治の本名の記載について間違いがございました。
    ご指摘いただきました研究者様にお礼申し上げます。

    浅草という町は賑やかな祭りのイメージがあります。人が笑顔になれる町だと思います。三社祭りに代表されるような賑やかさと男臭さが溢れる町だと思います。そして日本をある意味代表されるような場所として内外問わずに人々が集まってきます。

    そして浅草のもう一つの顔と言えば文豪に愛された町です。

    目次

    太宰治と神谷バーについて

    Dazai_Osamu
    浅草を検索すると必ず文豪の名前が付いてきます。そして池波正太郎さんなどに代表されるように、グルメな文豪も必ず浅草に行きつけのお店を持っていました。そういった文豪もたくさんいて、その浅草の名店はモデルとして小説などに登場します。そんな文豪に愛され続けられる町浅草に少し似合わないかもしれませんが、太宰治さんもその中の一人です。

    そんな太宰さんと浅草の名店「神谷バー」についてまとめてみました。

    太宰治について

    太宰治のイメージは「人間失格」に代表されるようなネガティブなイメージが強い方が多いかもしれません。 それほど彼の代表作「人間失格」はイメージが強すぎると言えます。しかしもう一つの代表作「走れメロス」は逆にポジティブでもあるので、逆のイメージが出てきても良かったかもしれません。

    太宰治、波乱万丈の生涯

    Osamu_Dazai1946

    本名は津島修治です。太宰治は1909年6月19日青森県に生まれます。名家の家に6男として生まれた太宰の父は貴族議員を勤める程でした。太宰も小学校を主席で卒業するなど天才と言えます。現在と違い尋常小学校であったので中学を主席で卒業したような形になります。青森中学校(現在の青森高校)に入学する前に父親は亡くなってしまいます。

    17歳の頃にはエッセーや同人誌を発表するなど作家志望として着実に実力をつけていきます。芥川龍之介に没頭する一方で左翼運動にも精を出すようになっていきました。20歳になるとプロレタリア文学に影響されて同人誌「細胞文芸」を発表すると共にいくつかのペンネームを使い分けていたが、この頃には悩みが絶えず自殺を図っています。太宰は自身の境遇に劣等感を抱いていた節があり常に悩みが付きまとっていたようでそれが彼のイメージを作っていたのかもしれません。それが左翼運動への参加という結果を生んでいたのかもしれません。東京帝国大学に入学していたのですが講義には殆ど出ていなかった。この頃には文豪井伏鱒二に弟子入りをすると同時にペンネームを太宰治に変えています。そして彼の不安定さは変わらず、この頃には人妻である田部シメ子と入水自殺を図るが太宰だけが助かっています。この他にも太宰は女性に関するトラブルが多く彼の周りには必ず女性がいるような感じもします。

    Tanabe

    この事がきかっけになったかは分かりませんが更に太宰は左翼運動にのめり込むのですが、この事が議員である兄にばれ止めさせられます。26歳の頃には授業料未納の為に大学を除籍になり、新聞社を落ちた事で薬物中毒になり自殺を図ります。

    OsamuDazai

    しかしその後立ち直り「逆行」で芥川賞の最終候補に選ばれるも選考委員の川端康成に酷評された事に腹を立て、逆に川端に抗議をしました。しかし自分の憧れである芥川の冠の付いた賞は欲しかったのか次の「晩年」で選考前に川端に手紙を出し賞を取りたいと嘆願しています。しかし新人でないという事で選考からは外されひどく落ち込みます。

    この後、井伏の紹介で石原美和子と結婚をします。再三の自殺未遂からも立ち直り結婚生活を営んでいました。この時に名作「走れメロス」「富岳百景」などを書き上げます。しかし「人間失格」を書き上げた後に愛人山崎富栄と入水自殺をします。享年38歳でした。この自殺は無理心中など言われていましたが、後年作家としての行き詰まりが原因ではという自筆の遺書などから推測されています。

    太宰治という人物は幾度かの自殺から命を救われ生き続けるも、何故かトラブルの中で自分を追い込み自殺という道を選びます。また彼は女性に依存していた所も見受けられ、どこか心の拠り所を見つけていたのかもしれません。
    ※ちなみに、この自殺未遂説は全て本人のでまかせ…なんて説もあります。今となって真意は分かりませんが。

    太宰の作品について

    1934年に「ロマネスク」でデビュー後「富岳百景」から「走れメロス」「人間失格」「御伽草子」など後世に残るような作品を残しています。そして現代の人達の評価は無人島にいって読みたい本は太宰治の作品であるのだが、彼の作品は2作続けて読むべきではないと言われています。暗い作品が彼のイメージを作り上げ更に評価を決定しているような気もします。しかし彼の作品にはコメディーやラブストーリーも多く一冊の小説で評価できる物でもないようです。
     

    太宰治などの文豪を癒した浅草の神谷バー

    神谷バーは浅草にある老舗のバーで、日本で初めてのバーとしても有名です。見るからに風情のある面影は当時でも話題であったと思われます。元々は「みかはや銘酒店」として濁り酒を売っている店でしたがその後葡萄酒の輸入販売を手掛けます。その後、明治45年に店舗改装後屋号を現在の「神谷バー」として現在の場所にビルを建設しています。そして現在までその姿をとどめています。

    食事も割烹や洋食を中心におしゃれな雰囲気を醸し出している様は2011年には登録有形文化財にされるなど日本の代表的なお店として有名です。現在でもその評価は高く少し特別な場所として認識される一方、お得なランチもあるので行きやすい店となっています。その一方で、下町の暖かさを感じられる店としても有名です。浅草駅より歩いて数分の所にあるので迷うこともなく行けます。店内の落ち着いた雰囲気が大人のお店として特別な雰囲気があります。そしてこのバーで有名なのが「電気ブラン」と呼ばれる速成ブランデー(実際は数種類のお酒が混じり、飲んだ時に電気のような衝撃があるそうです。)が特に有名でこれを飲むために訪れる人もいます。

    モダンさと懐かしさが混在するこのバーは日本で初めてのバーという事を差し引いても日本を代表するバーです。浅草に立つ歴史あるこのビルが文豪たちに愛された理由も普段の悩みから解放されるために、この暖かいお店に足を運んでいたのかもしれません。

    人間失格にも登場する、太宰治が愛した神谷バー

    太宰治はこの神谷バーをこよなく愛しました。自身の小説「人間失格」にも登場させるほどのお気に入りで特に「電気ブラン」はお気に入りでした。また「人間失格」では主人公の葉蔵に悪い事を教えた悪友堀木が「酔いの早く発するのは、電気ブランの右に出るものはない」と話してます。電気ブランとはブランデーやジンなどに薬草を混ぜたものだと言われています。小説の中にも自身と照らし合わせるように友人たちと飲み歩くさまが登場するなどこの神谷バーが彼にとって安らげる最高の場所であったと思われます。また他の文豪の作品の中にもこの神谷バーは登場するほど愛されたお店です。萩原朔太郎も歌で表すほどこの場所に愛着を持っていました。 

    神谷バー

    太宰治にとって神谷バーは憩の場であり日々の喧騒を忘れる場所でもあったのでしょう。太宰の生涯を見ていると通常では考えらないほどの波乱万丈さを含んでいます。女性とのトラブルや自身の悩みを抱え込んでのトラブルなどもありこのモダンながらも暖かい雰囲気のこの店に通ったのでしょう。

    浅草と太宰治

    太宰治という人は波乱万丈の中で生き抜いた文豪です。いうなれば自分自身を破壊するように生きてきたようにも思えます。自分を追い込みそれが作品となるような生き方だったのかとも思えます。それが「人間失格」などの作品に表されているのかもしれません。

    その「人間失格」が後の太宰のイメージや評価を決めていたのかもしれません。太宰治の作品といえば暗いというか読みづらいというイメージが出てきているのかもしれません。彼の作品から見えるのは人間の弱い感じを惜しげもなく出していく彼の作風が暗いというイメージがあると思われますが、これは彼の一部分であると思われます。他にも彼の作品には喜劇的な作品もありその作品の評価も高いですが、なぜか彼の作品は暗いという評価があります。しかし彼の作品には「御伽草子」のような作品もあるので作家のイメージというものは分かりません。

    浅草と太宰の関係は他にもあり、ネット上で検索すると「アンヂェラス」というお店の名前が出てきます。この「アンヂェラス」というお店は浅草の名店の一つに数えられる喫茶店でこのお店を利用していたのは池波正太郎さんや手塚治虫さんなど層々たる面々がこの店を利用していました。ネット上での口コミで広がった話なのですが実際は訪れていないそうなので少し残念です。

    当時の浅草(混乱した時代)に対してはこんな時代だからこそこの浅草が愛されたのかもしれないと語っていたように太宰にとってはこの町は自分に合っていたのかもしれません。浅草の裏の顔ともいえる混乱とアングラな雰囲気を彼は愛したのかもしれません。

    しかし太宰の作品の中に出てくる庶民の味おでんと湯豆腐は本当の彼の愛した味で更に本来は家族の愛情に飢えた彼の姿が浮かびあがるようでもあります。寂しさ(心の隙間)を何かで埋めていたのかもしれません。

    ※2020年11月追記
    太宰治の本名の記載について間違いがございました。
    ご指摘いただきました研究者様にお礼申し上げます。

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