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    江戸しぐさとは何か?内容や真偽、江戸しぐさの行動を知ろう!

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    江戸しぐさとは?

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    江戸時代、それはまさに「平和な時代」でした。
    戦国時代を終え、およそ260年もの平和な時代には戦ではなく、「文化」が芽生えました。その一つが江戸しぐさです。既に江戸時代が終了してから150年以上が経過する現代社会ですが、実は江戸しぐさは我々の日常生活の中でも身近な存在となっています。そこで、江戸しぐさにはどのような種類があったのか解説も含めて一覧をチェックしてみましょう。

    そもそも江戸しぐさとはなんなのか

    まず江戸しぐさという言葉はご存知でしょうか。
    今ではあまり聞きなじみのない言葉かもしれませんが、実はこの江戸しぐさは日本人であれば誰もが普段から意識した事がある考え方なのです。そもそも江戸しぐさというのは、265年間続いた江戸時代の江戸の町で町民たちが人との付き合い方として使っていた所謂公衆マナーと言われています。これは多くの人が行き交う町でのマナーから、コミュニケーションの際に使われたものまで数多くの種類があり、今でも日常生活において欠かせないものとなっています。

    「江戸しぐさ」という言葉や括りがいつ生まれたのか・・・という点については諸説あります。もともと存在していたものではなく最近になって出来たという説もあり、「江戸しぐさ」に対して驚くほど批判的な意見も多いんですよね。
    個人的には日本で浸透している内容で、聞けば「あるある」と納得するような事なので、自分の行動を見直すような行動指針として知っておいてもいいのかな、と感じます。

    江戸しぐさの種類

    この江戸しぐさを仕事で使えるもの、一対一のコミュニケーションで使えるもの、日常のマナーとして使えるものに分けていくつかご紹介していきます。

    「傘かしげ」で相手を配慮

    雨が降った際には傘をさしますが傘をさした同士がすれ違う際には傘を外側に傾けることで、相手が濡れないようにしたことです。
    決して自分から「濡れちゃうから外側にするね」などとは告げません。黙って相手が濡れないようにするのですが、双方が行うのでお互いの傘が外側に傾けられます。現代社会でも江戸しぐさだと意識している訳ではなくとも、相手への配慮で傘を外側へと向ける人もいるはずです。

    見てわかることは敢えて言わない

    見てわかることをわざわざ指摘するのではなく、何が必要なのかを察してあげることもまた、江戸しぐさです。
    例えば江戸時代はまだまだクーラーもエアコンもない時代です。暑い中歩いていれば汗だくにもなるでしょう。そんな時、「暑いですね」「汗たくさん出ていますよ」などとは言いません。相手のためにふと団扇で仰いであげたり汗をぬぐうためのタオルを用意してあげたり。この応用として、身体的な特徴を言わないことも江戸しぐさです。太っている相手に「最近痩せた?」など、身体的な特徴を揶揄するようなことは口にしなかったのです。

    「いただきます」で感謝の気持ちを

    現代人でもこの言葉を知らない人はいないでしょう。
    実はこの言葉も江戸しぐさ、とも言われています。元々は「大江戸のおかげさまで今日も一日安心してご飯を食べれることを幸せだと噛み締めながらいただきます」でした。長らく続いた戦国時代の動乱を収めた徳川家康に対しての感謝の気持ちですが、平和な時代が続くにつれて次第に言葉も簡素なものとなっていき、気付けば「いただきます」だけとなりました。おそらく誰もがご飯の最初に発する言葉かと思いますが、この言葉も実は江戸しぐさだったのです。

    年下にも「ございます」

    江戸しぐさでは「おはようございます」と挨拶されると、自分より年下や後輩、部下に挨拶されたとしても「おはようございます」と返事をするものでした。
    現代社会では年下や後輩、部下相手だと「おはようございます」や「お疲れ様です」といった挨拶に対してついつい「おはよう」「お疲れ」といった簡素化した言葉で返答してしまいがちですが、言葉次第で相手の気持ちも変えてしまうという戒めから、相手の礼節には自分もしっかりと返す。これもまた、江戸しぐさです。

    すれ違いざまの会釈

    捨て違う際、お互いにさりげなく目配りをするのも江戸しぐさです。
    あまりにもじろじろと見るのは失礼になってしまいますが、無視をするのもかえって失礼なものです。
    そこで、軽く視線だけで会釈をするようになったのです。
    言葉を交わすだけがコミュニケーションではなく、少し目くばせをするだけでも立派なコミュニケーションだという考え方です。

    お世辞を言えて一人前

    現代社会でお世辞と言えば「相手を褒める」といった意味ですが、江戸時代の世辞とは挨拶の後に一言付け加えるものを指しました。
    「こんにちは」のあと「今日も寒いですね」「今日は天気が良いですね」といった言葉が世辞でしたが、挨拶だけで終えるのではなく世辞を付けることも江戸しぐさです。江戸時代における世辞とは「外交辞令」を意味し、決して現代社会の様に「心にもない上っ面の言葉」ではありません。江戸時代では世辞が言えるようになってこそ一人前とも言われていたほど大切なものでした。

    ありがとうは、有難い

    現代人でも使うこの言葉も実は江戸しぐさです。漢字にすると「有り難い」と書くこの言葉は、「そうそう有り得ないこと」を意味する言葉でした。
    そのため、江戸の商人は自分の物を買ってくれたお客に対して「ありがたきことです」というお礼の意味で使い始めたのです。つまり、自分がへりくだることで相手を持ち上げるニュアンスだったのです。相手を不愉快にさせないという江戸しぐさらしい言葉の使い方です。

    忙しいとは言わない

    口癖の様に「忙しい」と言う現代人は珍しくありませんが、江戸時代には「忙しい」と言わないことも江戸しぐさでした。もちろん本当に忙しい人もいたことでしょう。しかし、「忙」という漢字は左側のりっしんべんを亡くすと書きます。りっしんべんは「心」が変化したものなので、「忙しい」とは「心を亡くす」ことを意味するとされたのです。江戸時代の町民たちは心を大切にしていたからこそ、心を亡くすと表現できる「忙しい」とは口にしなかったとされています。

    勿体ない+大事でもったい大事

    もったいないの精神から、物を大切にすることも江戸しぐさでした。安易に捨ててしまうのではなく、あれこれ工夫を凝らしながら本当に使えなくなるまで使い続けることが良いとされていました。質素倹約を良しとした江戸時代らしい話です。

    肩引き相手への配慮を

    道で人とすれ違う際、相手から遠い側の肩を引き寄せることで斜めの態勢となることです。堂々とすれ違うのではなく、相手への配慮として肩を引き寄せ、斜に構えるかのような体勢でお互いがすれ違うことも江戸しぐさでした。相手に無用な敵意を向けないという点、そして少しでも道を広くという意味合いが含まれている江戸しぐさです。 

    見られていなくても七三の道

    道を歩く時には誰もいないとしても真ん中を歩くのではなく、端の三割を歩いて七割を空けておくという考え方です。誰がくるか分からないため、急に曲がり角で誰かが現れたとしても困らないよう、常日頃から隅を歩くという考え方です。誰に見られているでもなく、常に誰かのことを考える。そんな考え方です。

    こぶし腰浮かせ

    船に乗っていたり観劇等で座っている時、後から人が来たらこぶし一つ分腰を浮かせることによって席を詰めることによって後からやって来た人が座りやすくするという配慮です。先に座っていたからと言って我が物顔をするのではなく、あくまでも「借りている席」という意識を忘れないというものです。現代社会でも後から人が来た場合、少し詰めたりしますがいわば江戸しぐさの名残と言っても良いでしょう。

    逆らいしぐさは使わない

    人と話している時、「しかし」「だけど」といった逆説になってしまう接続詞を使わないよう努めていました。この言葉を発すると、事前の発言者の言葉を否定的に捉えてしまうことにもなります。相手を嫌な気持ちにさせないだけではなく、余計なトラブルにしないためにもこういった逆説的な言葉を使わないことも江戸しぐさの一つです。

    喫煙場所でも喫煙しぐさ

    現代社会では喫煙マナーが年々厳しさを増していますが、タバコは江戸時代には既に登場していました。そして、江戸時代においても喫煙者と非喫煙者で分かれており、禁煙とされる場所も設定されていました。しかし、いくら喫煙可能な場所であっても非喫煙者がいる場所ではタバコを吸わないことも江戸しぐさの一つでした。いくら喫煙を許されているとはいえ、喫煙することで迷惑をこうむる人がいる以上、喫煙をしないという考えです。

    束の間の付き合いを楽しむ

    初対面で、さらには短時間しか楽しまないようなシチュエーションであっても挨拶、そしてちょっとした会話をして楽しむことも江戸しぐさでした。江戸時代は庶民も船に乗ることが多かったため、時にまったく知らない相手と船に乗ることもありました。そのような時、知らない相手だからと何もしないのではなく、軽く挨拶をして一緒にいる少しの時間だけでも楽しもうとするのが江戸しぐさだったのです。人と人とのコミュニケーションを大切にしていた江戸時代ならではな話であると共に、現代人が少々忘れてしまった気持ちでもあります。

    悪くなくてもうかつあやまり

    例え自分が悪くはないとしても、「自分が迂闊だった」と謝ることでその場を収めることもまた、江戸しぐさでした。こちらも現代人にとっては少々耳が痛い話かもしれません。悪くないのに謝るのは嫌だと考える人は多いですが、江戸しぐさではそこで意地を張ってその場の空気がおかしくなるくらいであれば、自ら迂闊だったと謝ることでその場の雰囲気を良いものにと考えたのです。自分の気持ちよりも相手、あるいはその場の雰囲気を考えての行動は、先の「束の間の付き合いを楽しむ」同様、現代人が忘れてしまったことかもしれません。

    陽に生きるでポジティブに!

    太陽に向かって生きる。いわばポジティブに生きることを意味した江戸しぐさです。
    ネガティブに考えてしまうことが多い現代人にとっても教訓になるのではないでしょうか。
    前向きに生きていた方が良いことが起きるというプラス思考でいた方が人生も楽しめるという考えです。
    くよくよしていても明るくても、何かが変わる訳ではないかもしれませんが、少なくとも自分の気持ちは全く違うものになります。それなら明るい方が良い。これも江戸しぐさです。

    横切り仕草で配慮を

    人の前を横切る時には手刀を振って「前、失礼」といった意思表示をしながら通ることです。こちらは現代人の間でも見受けられるのではないでしょうか。前を通る際、例えば相手が何かを見ている時等は邪魔にならないよう少し屈みつつ手刀を振る人も見かけます。現代人の場合、手刀としてではなく「ごめん」の手を意識しているかと思いますが、江戸しぐさの名残と言っても良いでしょう。

    江戸しぐさの一覧をチェックしてみましたが、なるほどなと思わされることもあれば現代にも残っていること。逆に現代人が忘れてしまったこともありますが、どれも根底には「相手への配慮」が隠されていることが分かります。思いやりの気持ちこそ、現代人が忘れてしまった最たるものかもしれませんので、江戸しぐさを見て、改めて相手に対する思いやりの大切さを再認識してみるのも良いかもしれませんね。

    ここからは、生活や仕事などでどのような江戸しぐさが重宝するのかみていきましょう。

    仕事で使える江戸しぐさ

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    まずは仕事をを円滑に進めるための江戸しぐさです。これはちょっとしたアルバイトから会社でビジネスで使えるものまで、役に立つ考え方を実際にあるケースなどに当てはめながら3つ程紹介していきます。恐らく誰もが一度は遭遇した事のあるシチュエーションだと思うので、想像しながら読んでみてください。

    時は金なりの「時泥棒しぐさ」

    この時泥棒しぐさとは相手の都合などを考えず、突如訪問し相手の大事な時間を奪ってはいけない、という考え方です。
    時間というものは今も昔も変わらず大切なもので、相手の時間を奪うという事は相手の金銭を奪っている事と大差ありません。時は金なりということわざもある程ですしね。
    相手の時間を大切に扱う、それはこちらが時間を守る事にもつながりそのまま約束を守るという事にも繋がっていきます。仕事において信用はなによりも大事、信用があれば大きな仕事も任されひいては仕事の成功に直結するでしょう。

    「念入れしぐさ」で確認を

    その名の通り念には念を入れるしぐさ、物事にきちんと確認をいれ用意周到に事を進めましょうという教えです。
    これは働いた事がある人なら誰もがピンと来る事でしょう。仕事において確認は二度、三度したところで多すぎる事はありません。相手にとっても念入りに確認する相手がパートナーなら信用出来ますし、安心する事でしょう。単純に自分ひとりの仕事であってもどこに落とし穴が潜んでいるか分からず、むしろ上手くいっている時程ちょっとした事で失敗をしてしまうパターンも少なくありません。昔から仕事においてホウレンソウは大事だという事がよく分かる考え方ですね。
    2.3三脱の教え
    この三脱の教えというものは年齢、職業、地位の三つの事からは三脱してものを考えよう、という教えです。
    自分より相手が若かったり肩書がないと判断して軽んじた態度をとってしまったり、他の人と区別してしまった事は多くの方にあると思います。しかし、それは今自分が見ている今の瞬間だけなのであって、それが10年後20年後どうなつているかは分かりません。場合によってはその軽んじてしまった人物が自分上司になっていたり、大きく成功している事だってあるのです。つまりは相手に失礼だというのはもちろんですが、何より相手の人間性を見抜けず、その失敗が自分に返って来ることさえあるという事です。江戸もその頃には身分が確率されていた時代、そんな時代に今でも実行するのが難しい教えがあったとは頭が下がる思いですよね。
    初対面の人は特に肩書で見ず、本質を見抜ける目を養っていきましょう。

    一対一のコミュニケーションで使える江戸しぐさ

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    これは何気ない挨拶や言葉遣いなど、普段から人と会話する時に意識せずともやっている事も多いと思いますが、改めて大切さが分かるコミュニケーションの為の江戸しぐさです。これも三つ程ご紹介します。

    おはようには、おはよう

    おはようと挨拶されたらおはようと返しましょう。本当に当たり前の事ですがとても大事な事です。挨拶はしっかりしましょうと今まで親にも学校でも誰もが教えられ続けたと思います。挨拶は相手の事を何も知らなくてもどんな相手であっても絶対に成立する究極のコミュニケーション方法で、相手との関係はまず必ず挨拶から始まる、それは現代でも江戸時代でも何ら変わる事はありません。

    世辞が言えて一人前

    おはようという挨拶は何よりも大事と言いましたが、本当におはようだけでは相手との関係を築く事は出来ません。そこで世辞です。ですがこの世辞というのは何も相手を一方的に褒めるようなお世辞を言えと言っているのではありません。ここでの世辞は例えばこんにちはの後に、今日はいい天気ですね、暑いですが体調は大丈夫ですか、のような次の会話に繋がるような一言が言えて初めて一人前だという意味なのです。そもそもこんにちはという言葉の最後の「は」は、そういった世辞をつけた名残だとも言われています。おはようと合わせて世辞を言うことで相手とのコミュニケーションを上手くとりましょう。

    「戸締め言葉」を言わない

    江戸の町では言葉遣いがとても重要視されていて、相手が心地よく感じる言葉を使うという考え方がありました。これは敬語を巧みに使うという事ではなく、例えば相手の話の途中で「でも」「だって」「しかし」「そうはいっても」など相手の話の邪魔をしたり、否定するような事は言ってはいけないという教えです。こういった事をしてしまうと人の話を聞かない自分本位な人だと非常に嫌われたそうです。確かに現代においてもこういった言葉を使って相手の話を聞かない人はよく思われませんよね。自分自身も気をつけていないとうっかり出てしまう事があり得ます。自分が嫌な事はやはり相手も嫌なので、好かれるためにはただ会話をしていても相手を尊重する必要があるという考えです。

    日常のマナーとして使える江戸しぐさ

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    今の現代おいてニュースやSNSなどでマナーやモラルの問題が日々取り上げられています。実は江戸しぐさといえばやはり公衆におけるマナーといったイメージが一番強く、公衆の場で相手を気遣う教えが非常に参考になります。ここでは4つマナーとして使える江戸しぐさを挙げていきます。

    うかつあやまり

    このうかつあやまりというのはうっかりしていたり、注意が足りない様の事です。例えば駅などで足を踏まれてしまった時に踏んだ相手が謝るのは当然ですが、逆に踏まれた方も謝りましょう、というのがこのうかつあやまりです。踏んでしまった相手はきっと恐縮しているはずなので、踏まれてしまった自分も注意不足であったからあなただけが悪い訳じゃないんだと謝る事で相手の気持ちは軽くなり、気まずい雰囲気も軽減される事でお互いの為になるという考えです。話を聞くだけで少し心が穏やかになるような気遣いですね。やはり心に余裕の少なくなった現代だからこそ必要な考えではないかと思います。

    傘かしげ

    雨が降っていて傘を差し狭い道を通る時、向こうから同じように傘を差した人が歩いてくる、このようなシチュエーションはよくありますよね。お互い通り辛くて傘からはみ出したり、お互いの傘から落ちたしずくで濡れてしまったりトラブルになってしまう事もあります。そんな時、江戸時代の人たちはお互いが傘を少し倒して相手が濡れないように配慮したそうです。こういった細やかな気配りをみな暗黙のルールとして行っていたと言われています。そしてお互いが傘をかしげる動きがお辞儀をしているようで、あいさつの代わりにもなる、マナーでもありコミュニケーションになるのはとても素敵な事ですよね。

    「こぶし腰浮かせ」

    これは元は渡し船に先に乗っていた乗客が、みな息を揃えてこぶし一個分席をつめて、後から乗ってきた客の為に空けてあげる所作の事をいいます。そしてこれはみなが意識しているマナーなので乗ってきた乗客もしっかりお礼を言うそうです。
    これは完全に現代に置き換えられますよね。流石にバスや電車で大きく足を広げて座っている人は非常識で非難されますし、定員満タンで座っている座席を無理やり空けるのは難しいです。ですが座席だけに限らず少し混んでいるバスや電車では立ち位置を考えてあげたり、とにかく周りへの思いやりを忘れないようにする、そういった気遣いが大事という考え方ですね。

    束の間の付き合い

    江戸の町では見知らぬ人も仏の化身で対等に付き合うという考えがあったそうです。たまたま渡し船に乗り合わせた知らない人でも仏頂面で過ごすのではなく、挨拶などを交わし和やかに過ごす。もちろんお互いの深くに立ち入る話などはせず、ちょっとした天気の話などをすることで町自体が明るくなり住みやすくなるという考えです。
    これも現代に生かす事が出来ますよね。ちょっと買い物に出かけた先で会った人の感じが良くそれから暫く良い気分でいられた、なんて体験もあったりすると思います。それがたくさんの人にあればやはり楽しい街になりますよね。

    いくつかの江戸しぐさを紹介しましたが、普段からやっているような本当に何てことない事から、現代の日本では少し考えにくい事まで色々な江戸しぐさがありました。
    しかし、そのどれもに当てはまるのは相手を気遣う心です。それは会社の上司でも普段仲の良い友人でも、まったく知らない他人でも根底にあるものは変わりません。日本人独特の思いやりの思想によるコミュニケーションは江戸時代、もしくはもっと昔からこうして受け継がれて来たものだったのです。こういった日本の心は外国の方から見てもとても美しいとよく話題になっていますよね。
    勘違いしてはいけないのはただ相手の為に気を遣えばいいという訳ではないという事です。もちろんただ我慢をしたり自身をないがしろにしたりする訳ではなく、相手を気遣う事によりいずれは自分に返ってくる、そう考えて行う事が大切です。相手を気遣えばその分自分も良い気分になり心が豊かになる、そして優しくされた人がまた誰かに優しくしてまた自分が優しくされる、それを繰り返していく事によりみなが幸せに暮らしていける、そんな考えがこの江戸しぐさにはこめられています。

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