
歌舞伎、映画、落語や漫才。浅草の芸能は、猿若町の芝居小屋と六区の興行街という違う場所・時代を経て育ちました。河竹黙阿弥や昔の映画館の話を知ると、劇場のある街を歩く楽しみが増します。
猿若町と六区を分けて歩く
| 猿若町 | 1842〜43年、歌舞伎の劇場が移転して芝居町に。現在の浅草6丁目付近。 |
|---|---|
| 六区 | 浅草寺の西側に広がった近代の興行街。猿若町と同じ場所ではありません。 |
| 黙阿弥 | 河竹黙阿弥は幕末・明治の歌舞伎作者。浅草での暮らしと作品の背景をたどれます。 |
| 今の楽しみ | 史跡の散歩に、浅草演芸ホールや東洋館などの実際の公演を組み合わせると、歴史が現在につながります。 |
さらに詳細を表示(年代・街歩きの手がかり)
| 三座の区別 | 江戸三座は中村座・市村座・森田(守田)座。河原崎座は森田座の控櫓で、1843年に猿若町へ移転。時期による呼び方の違いがあります。 |
|---|---|
| 映画の街 | 1903年の電気館は日本初の常設映画館として知られます。映画館がなくなった後も、演芸や買い物の街として六区は続いています。 |
| 歩き方 | 浅草公会堂のスターの広場、六区の劇場周辺、猿若町跡を一度に欲張らず、観劇を入れる日は公演時間を先に決めましょう。 |
| 参考資料 | 東京都立図書館の猿若町資料/台東区の浅草演芸史。 |
情報確認日:2026年10月6日。歴史写真と伝承は撮影・成立した時代の資料として掲載しています。古い再開発予告は現在の施設案内と区別しました。
浅草と言えば「文化の街」!芸、お笑い、文学、…ということで、浅草の芸文化の歴史を一部紹介したいと思います。
目次
芸能史の読みもの|浅草芸文化の歴史
「浅草公会堂入口前には、歌舞伎・演劇・落語・漫才など大衆芸能の分野で活躍されている浅草ゆかりのスターの手形とサインが地面に並べられているね。浅草は、芸文化の街でもあるわね。」
「浅草の芸文化ゆかりのものといえば河竹黙阿弥(かわたけもくあみ)の顕彰碑が建っているね。」
「河竹黙阿弥(かわたけもくあみ)って一体どんな人?」
「河竹黙阿弥は、歌舞伎狂言作者の第一人者だよ。1816年に日本橋の質商の家に誕生したんだ。19歳で芝居の脚本家を目指して、五世鶴屋南北に入門し、28歳で二世河竹新七を継いだんだ。」
「浅草と 河竹黙阿弥 はどのようなゆかりがあるの?」
「天保の改革の際、江戸三座が猿若町へと移ったんだ。そのときに浅草観音境内の正智院地内に住み始めたんだって。それから約40年間浅草で創作活動を行ったんだよ。」
「江戸三座ってなに?」
「江戸で公許された三つの芝居小屋で、中村座、市村座、森田(守田)座のことだよ。森田座に代わって興行する控櫓の河原崎座が猿若町へ移った時期もあるんだ。」
「猿若町は浅草のどの辺りにあったの?」
「旧浅草猿若町は、現在の浅草6丁目の一部にあったんだ。江戸時代に芝居小屋をここ一ヵ所に集めるために新しくつくられた町だよ。」
「なぜ一箇所に集められたの?」
「江戸幕府は、風紀を取り締まるため老中・水野忠邦が天保の改革を行い、これにより芝居小屋を廃止する命令が下されたんだ。しかし、遠山の金さんとして知られる北町奉行・遠山左衛門尉景元が庶民の娯楽を奪うことは却って人の心の安定に良くないないとの献言して、娯楽場所が一ヵ所に集めてられたと言われているよ。」
「猿若町の名前の由来は?」
「このごらく施設が集められた場所を猿若町と言うんだ。これの元になった人物がいて、猿若勘三郎というんだ。この名前だとわかりにくいけど、初代中村勘三郎といったらみんなわかるよね。江戸歌舞伎を始めた始祖であり、日本の芸文化にとってとっても重要な人なんだ。猿若町は芝居小屋やお茶屋さんなどはもちろん、芸をする人たちの家なども作られて発展したんだよ。」
「河竹黙阿弥 はどんな作品を書いたの?」
「彼は、生涯に360編もの作品を世に残したよ。主に上野や浅草を題材にしたものも多く代表作は、『河内山』や『直侍と三千歳』だよ。作家の坪内逍遥は黙阿弥のことを「日本の沙翁」と称賛しているよ。」
「天台宗東叡山に属する木母寺は『梅若伝説』ゆかりの寺だよ。」
「梅若伝説って?」
「梅若伝説は、謡曲『隅田川』、浄瑠璃『隅田川』、長唄などに唄われ、戯作や小説にもなって受け継がれているよ。」
「どんな物語?」
「時代は平安の中ごろ。梅若丸は京都から誘拐されてしまうんだ。まだたった12歳の子供なんだけど、あちこち連れてまわされ、心身ともに弱りきってしまうんだ。その梅若丸を母親が狂乱して探し回るんだけど、梅若丸はすでに今でいう東北地方まで連れてかれそうになっていたんだ。そんな途中、体調を壊した梅若丸は隅田川のほとりで一句を読み、命を落とした…という悲しいお話だよ。その有名な句がこちら。
たずね来て とわばこたえよ みやこどり すみだ 原の露と消えぬと
この句は、母親がもし尋ねてきたら、梅若丸は隅田川の原っぱの露となって消えたと伝えてくださいという、鳥に託した遺書なんだよ。
この場に居あわせた天台宗の高僧・忠円阿闍梨が幼梅若塚を築き柳の木を植えて供養したんだ。境内には現在も梅若塚、浄瑠璃塚や歌曲『隅田川』の碑、高橋泥舟筆による落語家・三遊亭円朝の碑『三遊塚』、山岡鉄舟の揮毫などがあるよ。歌川広重の浮世絵には、木母寺の裏に隅田川から流れる、内川が描かれているんだ。」
「話は変わるけど、浅草は、映画館発祥の地なのよね。」
「そうなんだ。浅草六区は、1903年(明治36年)に日本で最初となる映画館『電気館』が誕生した地なんだよ。 最盛期の1959年には、36の興行施設が立ち並んでいたそうだよ。 当時、映画や演劇は人々の娯楽の中心だったんだよ。」
「当時は、どんな映画が流行っていたの?」
「高倉健や渥美清らが主演する映画では行列もできて、立ち見客もあったほどだったんだ。」
「なぜ、映画館から人が遠のいていったの?」
「なぜなら、テレビが普及したからだよ。そのため1960年代ごろから映画館の閉館が相次いたんだ。 2012年には、 映画館の老朽化も伴って浅草六区に最後まで残っていた映画館も『浅草名画座』『浅草中映劇場』『浅草新劇場』も閉館してしまったんだ。」
「跡地にはなにができるの?」
「旧記事には2014年の再開発予定が書かれていたけれど、当時の計画を現在の施設名としては使わないよ。六区は映画館の街から、寄席・商業施設などが集まる街へ姿を変えてきたんだ。」
六区を詳しく歩くなら浅草六区の歴史へ。観劇の予定は新春浅草歌舞伎の公演案内や浅草の行事一覧から。
| 店舗名 | 浅草の芸能文化 |
|---|---|
| 住所 | 東京都台東区浅草6丁目(旧猿若町)/浅草1・2丁目(六区周辺) |
| 営業時間 | 街歩き。各劇場の公演時間・料金は個別公式案内による。 |
| アクセス | 猿若町は浅草6丁目方面。六区は浅草寺西側、TX浅草駅側。 |
| 禁煙・喫煙 | 該当なし/喫煙条件は現地の案内に従ってください。 |
| 備考 | 情報確認日:2026年10月6日。歴史写真と伝承は撮影・成立した時代の資料として掲載しています。古い再開発予告は現在の施設案内と区別しました。 |




