浅草の横を流れる隅田川。満開の桜や、風情ある屋形船と共に、昔から今まで下町と切っても切れないかけがえのない川となっています。身近な存在でありながら、意外と知らない隅田川について、川の長さなどの基本情報や歴史、ちょっとマイナーなイベントまで、隅田川にまつわることをまとめてみたいと思います。
隅田川とは?下町を支える長さや川の歴史について
隅田川は、全長23.5kmの一級河川です。東京都北区にある新岩淵水門で荒川から分岐し、東京湾に注いでいます。
隅田川の上流にある、古利根川の古い河道の一部は、現在では古利根川の本流が流れなくなっています。しかし、古隅田川と呼ばれる2つの河川は残っているのです。
江戸時代、1629年に荒川を入間川に付け替える瀬替えをして、隅田川の河道は荒川の本流となりました。瀬替え、とは新しく河道を掘削して、河川を付け替える工事のことです。
明治時代の終わりから昭和のはじめにかけて、洪水を防ぐという目的のため岩淵水門から河口までの荒川放水路が開削されました。そして、1965年3月24日に出された政令によって、荒川放水路が荒川の本流となったのです。また、分岐点である岩淵水門より下流の、以前からの河道は隅田川と改称されたのでした。
隅田川の歴史
隅田川の歴史を見ていきましょう。時代と共に変わらない悠久の大河・・・ではなく、その時代背景や、人の生活に合わせて姿を変えてきたのが隅田川。時代を写す鏡と言ってもいいかもしれません。
隅田川の名前の由来
夏の風物詩としても有名な隅田川ですが、平安時代は「住田河」や「宮戸川」などと呼ばれ、その後も時代によって呼び名が変わっていきました。ちなみに、江戸時代初期、隅田川といえば当時の利根川のことを指していました。江戸時代には荒川の本流が流れていましたが、昭和になると荒川の分流が流れるようになりました。現在と同じように「隅田川」と呼ばれるようになったのは、昭和40年のことなのです。1965年3月24日は、前の項目で述べた政令が出された日であり、隅田川命名の日としても知られています。さて、隅田川の流れる墨田区。なぜスミの字が2種類あるのかというと、実は墨田区が出来た際の内閣告示された当用漢字表に隅の字がなかった、という理由があるのです。隅田川や隅田公園は隅の漢字、墨田高校など学校などは墨の字を使うことになったのだとか。
江戸時代が始まりの隅田川の花火
隅田川の花火は、とても有名です。毎年大勢の人が隅田川の花火を見るために訪れます。
人で溢れる隅田川の花火は、昔も大人気でした。その歴史は古く、隅田川の花火が始まったのは、1732年のことでした。当時、今みたいに明かりがなく、真っ暗な夜空に打ち上げられた花火は、いったいどれほど美しかったことでしょう。しかし、隅田川で花火が行われるようになったのには、悲しい理由がありました。当時、コレラや大飢饉でたくさんの人々が亡くなりました。その人々を弔うために花火を打ち上げたことが、隅田川の花火の由来なのです。
やがて時が流れ、鍵屋と玉屋のふたつの花火屋が、どちらのほうが素晴らしい花火を打ち上げられるかということで、腕を競い合うようになりました。
花火だけじゃない!隅田川のイベント
隅田川で有名なのは、花火だけではありません。他にもたくさんの楽しいイベントが開催されています。有名なものから、少しニッチなものまで、隅田川付近で開催されるイベントを見ていきましょう。写真は毎年隅田川で春に開催される早慶ガレった戦の様子。迫力あるボート競技も見所ながら、お互いの慶應、早稲田の応援合戦や、同窓会みたいになっている感染者の雰囲気も魅力ですよ。
有名なところで隅田川の桜祭りなどはこちらの浅草イベント一覧にもまとめていますので、ご参考までに。
隅田川納涼水辺まつり
隅田川納涼水辺まつりは、毎年夏に東白鬚公園の白鬚橋上流水辺テラスにて開催されています。2018年で第10回目の開催を迎えた、人気のあるお祭りです。音楽ライブやハワイアンミュージック、そしてフラのパフォーマンスが楽しめます。もちろん、盆踊りもあります。
隅田川納涼水辺まつりの公式Facebookでは、お祭りの楽しそうな様子が写っている写真を見ることができます。
THE GREENMARKET SUMIDA
THE GREENMARKET SUMIDAは、2016年からスタートした、墨田区と代官山ワークスが手がける都市型マーケットであり、定期的に開催されています。「お相撲さんに会える!」という企画では、現役の力士とふれあうことができ、ちゃんこなべが振舞われます。また、「和菓子づくり体験」の企画では、和菓子づくりの職人から丁寧に作りかたを教えてもらうことができます。隅田川の開放的な水辺でゆったりとくつろぎながら、生産者とのやりとりを直接楽しめるマーケットって、とても素敵だと思いませんか?
また、エリア指定はありますが、3000円以上買い物をすると荷物を自宅まで運んでくれるサービスも提供しています。音楽の生演奏があることもあり、子どもから大人までエンジョイできる都市型マーケットとなっているのです。
水上祭
水上祭は、鳥越神社という神社で開催されるお祭りです。鳥越神社の芽の輪くぐりという穢れを祓う儀式があり、水上祭はその翌日に行われる伝統行事です。正式には、「大祓水上の儀」といいます。
芽の輪くぐりで納められた形代を、御座船に積みます。そして、柳橋河岸から隅田川を下り、東京湾で神事が執り行われます。形代を積んだ御座船が、鳥越神社の社名旗を翻した船に警護されながら隅田川をゆらりゆらりと流れていく様子は、眺めていると心が浄化されていくようです。
東京のパナマ運河 扇橋閘門の一般開放
扇橋閘門、おうぎばしこうもんと呼ばれるこの東京のパナマ運河は、夏休みのあいだ一般公開されています。
扇橋閘門は、ひとことで表すなら「勢いよく水位が上下する水のエレベーター」です。
ボートに乗っていると、どんどん水位が下がっていくのがよく分かります。個人の方が「扇橋閘門」の動画をネット上に公開しているので、ぜひ見てみてください。水のエレベーター、とても気持ちよさそうです。
扇橋閘門は、江東デルタ地帯を東西に流れる小名木川のほぼ真ん中に位置しています。水面の高さが違う河川を船が通過できるようになっているため、ミニパナマ運河といえる施設です。
ちなみに、本家のパナマ運河とは、全長80kmもあり、移動するのに24時間もかかる世界最大の運河です。このパナマ運河は、海の水位を利用して、船を太平洋からカリブ海へと送ります。この仕組みのことを、閘門式といいます。扇橋閘門は、太平洋とカリブ海を結ぶパナマ運河と同じ仕組みを用いているため、ミニパナマ運河と呼ばれ、親しまれているのです。
また、現在では扇橋閘門の全面改修工事に伴い、「下町のパナマ運河体験クルーズ」は運行中止となっています。2019年4月には再開予定のため、それまで待ち遠しいですね。
隅田川で遊ぼう
隅田川は、大人も子どもも楽しめる遊びがたくさんあるスポットです。
屋形船で隅田川を周遊!
特に、隅田川の屋形船は有名です。屋形船から四季折々の美しい景色を楽しむのは、江戸時代から粋なことであるとされてきました。また、屋形船のランチクルーズでは、美味しいお刺身や天ぷらを食べながら、ゆったりとした時間を過ごすことができます。屋形船の中から間近で眺めることができるスカイツリーは大迫力です。お花見シーズンも大変人気があります。外国人の観光客からも、日本の風情豊かな屋形船は大好評で、公式ウェブサイトの内容は、英語や中国語でも見ることができるようになっています。外国の友人と一緒に浅草周辺を訪れた際は、ぜひ一度乗船してみてはいかがでしょうか?きっと屋形船から眺める美しい景色のとりこになるでしょう。
隅田川で釣りを楽しむ!隅田川の生き物
東京の中で都心にいながら釣りを楽しめる貴重なスポットである隅田川。そもそも、隅田川にはどのような生き物がいるのでしょうか?
吾妻橋より上流には、ヨシが群生しています。これは、隅田川の水質浄化を目的に作られたものであり小さな干潟を形成してい流のます。そこには、クロベンケイガニをはじめとするたくさんの水生昆虫が生息しています。ちなみに、クロベンケイガニは水辺に穴を掘って生活し、昼間は穴に潜っていることが多いため、なかなか見つけることが難しいでしょう。
隅田川は、昔はシラウオがすみ、水遊びができるほどきれいな川でした。しかし、人口が増えて工場がたくさん作られるようになると、生活排水や工場から排出される汚染された水などによって、魚がすめなくなるほど川の水が汚れてしまいました。しかし、下水処理の設備が整ってくると、川の水はだんだんときれいになり、ようやく魚が生息できるようになったのです。また、白鬚橋の上流には、ビオトープがあり、スズキやマハゼがすんでいます。
マハゼは、川と海を行き来する魚で、釣りの対象としても人気があります。マハゼは上品な白身で和食の材料として用いることもできます。釣ってきたマハゼを天ぷらにして食べるというのも、とても美味しいのでおすすめです。隅田川の魚って食べて大丈夫なの??という点に関しては、いろいろな考えがあるようですが、気にせず食べる人もいるし、内臓・奇形の魚は絶対食べないなど、ルールを決めて食べている人もいるとか。
絶滅危惧種のエドハゼがいる隅田川
ところで、隅田川には、身近な魚とは真逆の存在である絶滅危惧種の魚も生息しています。
エドハゼは、環境省レッドリストでは、絶滅危惧Ⅱ類に分類されています。埋め立てや護岸工事によって生息地である干潟が減ったため、数が少なってしまったエドハゼですが、わずかながら隅田川にすんでいるのです。
芸術作品の中に登場する隅田川
下町に住む人々にとって身近な存在であった隅田川は、昔から数多くの芸術作品の対象となってきました。特に江戸時代は、隅田川を題材にした絵画が無数に描かれ、その作品の中には現在まで残っているものも存在します。
隅田川を題材にした文学や絵画、歌からは、この川がたくさんの人々にとって身近な存在であり、親しまれてきたということがうかがえます。
隅田川と文学:隅田川を愛した芥川
「羅生門」「鼻」など、素晴らしい文学作品で知られている芥川龍之介は、隅田川をこよなく愛していました。芥川の出身小学校は、江東尋常小学校(両国小学校)であり、隅田川は幼少期からとても身近な存在だったのです。
芥川龍之介の書いた「大川の水」というエッセイには、「『東京のにおい、といえばどんなものが思い浮かぶか?』と聞かれたら、自分は何のためらいもなく『大川の水のにおいだ』と答えるだろう。自分は、大川があるから東京を愛しているのだ」という内容が綴られています。他にも、芥川の作品には隅田川が登場するものがあります。彼にとって、隅田川はふるさとを象徴する存在だったのではないでしょうか?
川端康成の最後の作品、隅田川
また、川端康成の生涯最後の作品タイトルは「隅田川」でした。「反橋」「しぐれ」「住吉」という3部作を回想したようになっているのが、「隅田川」という作品です。この3部作は、「あなたはどこにおいでなのでしょうか」という呼びかけで物語のはじめと終わりを結んでいます。この3部作はどことなくぼんやりとした、夢の内容をつなげたようにも取れる作品ですが、3部作から22年後に書かれた「隅田川」は、死を匂わせるような作品になっています。
川端が生涯最後の作品に「隅田川」というタイトルをつけたということは、彼にとってもこの川は特別な思い入れがある存在だったのでしょう。
隅田川と絵画:浮世絵のモチーフ
さて、江戸時代には隅田川を題材にした浮世絵が数多く描かれました。
江戸時代、隅田川は様々な物資を運ぶための運河として、人々の生活を支えてきました。また、船遊びや花火など、娯楽の場としても親しまれてきました。
1830年頃、歌川広重によって描かれた「江戸高名会亭尽 本所小梅 小倉庵」には、屋根付きの小舟に乗った女性が、隅田川で釣りをしている様子が描かれています。釣った魚を、近くにある高級料亭で調理してもらうのでしょうか?江戸の「粋」が伝わってくるような絵画です。
また、歌川国丸が描いた「両国納涼図」は、1804年頃の作品です。隅田川に大小の納涼船が出され、人々が花火を楽しんでいる様子が描かれています。なんといっても、花火の描写がダイナミックです。真っ暗な夜空に浮かび上がる花火が、明るい色のリボンが空に広がっているかのように描かれています。
隅田川と歌、あの有名な曲にも登場
隅田川は、中世になってからは歌枕として定着し、新勅撰和歌集などに登場します。和歌の中では、「すみだがはら」という名前で呼ばれています。
また、時代が進み、明治時代になったとき、瀧廉太郎という音楽家が「花」という歌を作りました。「春のうららの 隅田川 登り下りの 船人が」という情景が目に浮かぶような歌い出しと、一度耳にしたら忘れないような親しみやすいメロディーで、とてもポピュラーになった歌です。現在でも、音楽の授業の教科書に取り上げられているため、「あ、聴いたことがある!」という人も多いのではないでしょうか?
時代の移り変わりとともに隅田川の名前は変わっていきましたが、人々が隅田川を身近に感じ、親しみを持っていた気持ちはいつの時代も変わらないものだったのでしょう。
人々の生活に根付き、時代と共に異なる顔を見せてくれる隅田川。時代背景やイベントの意味などを知ると、 また違った隅田川の一面を感じることができるかもしれません。