浅草に来たらやはり神社やお寺は外せません。また、それ以外にも浅草周辺は史跡も多いエリアです。見ておきたいお寺、神社、史跡をチェックしておきましょう。
こちらでは、神社、お寺・その他史跡に分けてそれぞれのスポットを紹介しています。気になるところを回ってみてくださいね!
浅草のお寺巡り
1番の有名どころであり観光スポットの浅草寺を中心として、浅草周辺には多くのお寺があります。それぞれ特色がありますので、色々見て回ってみると良いでしょう。
浅草寺
「浅草寺」は628年に創建された東京都で最も古いお寺です。観音菩薩を本尊とすることから通称「浅草観音」または「浅草の観音様」と言われていて、都内では、唯一の坂東三十三箇所観音霊場の札所(13番)でもあります。また浅草七福神の一神・大黒天もお祀りしてます。江戸開府400年記念事業として、2003年10月から毎日、日没から午後23時まで本堂・五重塔・宝蔵門・雷門のライトアップをしています。夜は本堂の扉は閉められているが、参拝はできますので、夜の浅草寺もいいですね。
場所名 | 浅草寺 |
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ジャンル | 寺 |
所在地 | 東京都台東区浅草2-3-1 |
本龍院(待乳山聖天)
浅草駅から隅田川沿いの道を上流へ歩いていくとある「本龍院(待乳山聖天)」は、聖観音宗の寺院で浅草寺の子院のひとつです。浅草七福神の一神・毘沙門天をお祀りしています。この寺は隅田川沿いの小高い丘(待乳山)にありますが、595年9月に出現して龍が守護したと伝えられ、浅草寺の山号の由来となったといわれています。良縁成就を表した大根と商売繁盛を表した巾着がお寺の随所に見られます。例年1月7日に行われる「大根まつり」では、ふろふき大根が振る舞われるそうなので、お祭りに行ってみるのもいいですね。
場所名 | 本龍院(待乳山聖天) |
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ジャンル | 寺 |
所在地 | 東京都台東区浅草7-4-1 |
本山東本願寺
「本山東本願寺」は浄土真宗東本願寺派の本山で、正式名称は「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」といいます。ご本尊は阿弥陀如来で、1651年に東本願寺第12世教如が徳川家康の命により、神田に江戸御坊光瑞寺を建立しました。その後1657年に明暦の大火により焼失し、浅草に移転しました。大政奉還の際、彰義隊の拠点となったり、日本で最初に開かれた地方官会議の場所として使用されたりと歴史深い一面もあります。浅草から合羽橋道具街に行く途中にありますので、お参りしてみてください。
場所名 | 本山東本願寺 |
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ジャンル | 寺 |
所在地 | 東京都台東区西浅草1-5-5 |
浅草伝法院
「浅草伝法院」は浅草寺の宝蔵門の手前西側にあり、浅草寺の本坊のことをいいます。浅草寺の本坊はもともと観音院と呼ばれていましたが、1690年以降は伝法院と呼ばれています。現在の伝法院の建物の一部は1777年にさかのぼる浅草寺の中でも古い建物で、小堀遠州の作と伝えられる廻遊式庭園は、2011年に国の名勝に指定されています。通常は一般公開はされていませんが、特別公開されることがありますので、その時には是非訪れてみたいですね。
場所名 | 浅草伝法院(期間限定オープン) |
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ジャンル | 寺 |
所在地 | 東京都台東区浅草2-3-1 |
長國寺
国際通りの鷲神社交差点の路地を入ったところにある「長國寺」は、1630年大本山-長國山鷲山寺(じゅせんじ)第13世・日乾上人によって、鳥越町に 開山されたのが始まりです。山号を鷲在山、寺号を長國寺と称します。1669年に台東区千束に移転し今に至ります。江戸時代から続く代表的な年中行事である、浅草酉の市の発祥の寺として有名です。近くに鷲神社もありますので、是非11月の酉の日には福を授かりに訪れてみてください。
場所名 | 長國寺 |
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ジャンル | 寺 |
所在地 | 東京都台東区千束3-19-6 |
浅草の神社巡り
今戸神社
浅草から隅田川沿いを千住方面に歩いていく途中にある「今戸神社」は1063年、京都の石清水八幡を勧請し今戸八幡を創建しました。昭和12年に白山神社を合祀し、今戸神社となりました。ご祭神は應神天皇(おうじんてんのう)に伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)の夫婦の神で、夫婦の神様を祀っていることから、縁結びの神社と知られています。浅草七福神の一神・福禄寿も祀られており、七福神めぐりにも欠かせません。招き猫発祥の地とも言われており、境内にある多くの招き猫も見どころですよ。
場所名 | 今戸神社 |
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ジャンル | 神社 |
所在地 | 東京都台東区今戸1-5-22 |
浅草神社
「浅草神社」は、628年に隅田川で漁労中、浅草寺本尊の観音像をすくい上げた檜前浜成、竹成の兄弟と、その像を自宅に奉安した土師真中知の三体をご祭神としています。江戸時代以前は浅草寺と一体でしたが、明治の神仏分離法令で別になり、明治6年今の神社になりました。別名、三社様、三社権現の名で親しまれています。また浅草七福神の一神・恵比寿もお祀りしています。1649年に徳川家光が寄進建立した社殿は当時のままで、国の重要文化財に指定されています。浅草の三社祭りは、この浅草神社の例大祭です。
場所名 | 浅草神社 |
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ジャンル | 神社 |
所在地 | 東京都台東区浅草2-3-1 |
鷲神社
浅草駅から三ノ輪駅方面へ国際通りを歩いていく途中にある「鷲神社」は、天日鷲命(あめのひわしのみこと)と日本武尊(やまとたけるのみこと)をご祭神とした神社です。現在は「おとりさま」として親しまれていて、毎年11月に執り行われる例祭は「酉の市(とりのいち)」として有名です。浅草七福神の一神・寿老人もお祀りしていて、こちらはバスで巡るツアーも設けられています、七福神めぐりもいいですね。
場所名 | 鷲神社 |
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ジャンル | 神社 |
所在地 | 東京都台東区千束3-18-7 |
銀杏岡八幡神社
「銀杏岡八幡神社」は浅草橋にある八幡神社です。創建年代は不詳で、源頼義・義家が奥州征伐に向かう途中、小高い丘だったこの場所に銀杏の枝を差して戦勝祈願し、その帰途の1062年に当社を創建したと伝えられます。江戸時代、福井藩松平家の邸内社となったものの、1725年に公収され福井町内の産土神となりました。残念ながら大銀杏は文化の大火で焼失してしまいました。場所は浅草橋駅近くにあり、とても静かな佇まいで心が落ち着くスポットですよ。
場所名 | 銀杏岡八幡神社 |
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ジャンル | 神社 |
所在地 | 東京都台東区浅草橋1-29-11 |
鳥越神社
蔵前駅より末広町へ向かっていく蔵前橋通り沿いにある「鳥越神社」は、651年、日本武尊を祀って白鳥神社と称したのが始まりとされ、前九年の役に源義家がこの地を訪れ鳥越大明神と改めたと伝えられています。鳥越祭、鳥越まつりといわれる例大祭は、例年6月に開催にされ、例大祭に出る千貫神輿は都内最大級だそうです。 夜祭としても有名で、提灯神輿が宮入りする様は荘厳で幻想的なので、一度は見てみたいですね。
場所名 | 鳥越神社 |
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ジャンル | 神社 |
所在地 | 東京都台東区鳥越2-4-1 |
蔵前神社
「蔵前神社」は大江戸線蔵前駅からすぐのところにあり、徳川綱吉公が1693年京都の石清水八幡宮を勧請したのが始まりです。以来、江戸城鬼門除の守護神、徳川将軍家祈願所の1社となりました。昭和26年に隣接の稲荷神社と相殿・北野天満宮とを合祀し、蔵前神社と改称したそうです。古典落語「元犬」、「阿武松」の舞台になっているので、落語に興味のある方にもおすすめです。
場所名 | 蔵前神社 |
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ジャンル | 神社 |
所在地 | 東京都台東区蔵前3-14-11 |
吉原神社
入谷駅から徒歩14分ほどにある「吉原神社」は、吉原遊郭に廓の守護神として祀られていた五つの稲荷神社と遊郭に隣接する吉原弁財天を合祀した神社です。倉稲魂命(うがのみたまのみこと)と市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)をご祭神としています。また浅草七福神の一神・弁財天もお祀りしています。芸道富有、子孫繁栄にご御利益があるそうです。境内には吉原の遊郭の写真などもあり、奥宮には関東大震災で火災から逃げ遅れた遊女490人が池にとびこんで命を落とした、慰霊碑があります。吉原の一片に触れられる場所ですよ。
場所名 | 吉原神社 |
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ジャンル | 神社 |
所在地 | 東京都台東区千束3-20-2 |
矢先稲荷神社
合羽橋道具街の路地を入ったところにある「矢先稲荷神社」は、徳川家光公が1642年に浅草に三十三間堂を建立し、守護神として稲荷大明神を勧請したのが始まりです。弓矢の練成道場ということから「矢先稲荷」と名付けられました。三十三間堂は1698年の大火の際に、深川に移転しまったので、今は稲荷神社のみこの場所にあります。浅草七福神の一神・福寿天をお祀りしています。拝殿の格天井には、神武天皇の時代からの「日本馬乗史」を描いた100枚の絵が奉納されいて、馬にまつわる歴史が一目瞭然です。馬が好きな方は是非行ってみてください。
場所名 | 矢先稲荷神社 |
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ジャンル | 神社 |
所在地 | 東京都台東区松が谷2-14-1 |
浅草の史跡・歴史関連の場所巡り
台東区立一葉記念館
「台東区立一葉記念館」は「たけくらべ」の舞台となった竜泉(龍泉寺町)に一葉の文学業績を残すべく、1961年に開館した博物館です。当時、女流作家の単独資料館としては、日本では初めてでした。記念館は、1階は龍泉寺町の街並みを再現したギャラリーに、ライブラリー、グッズ売り場などがあります。2階は常設展示、3階でミニ企画展示などを行っています。入館料は大人130円になりますが、樋口一葉の世界が見られる貴重な空間ですよ。
場所名 | 台東区立一葉記念館 |
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ジャンル | 史跡 |
所在地 | 東京都台東区竜泉3-18-4 |
葛飾北斎の墓
「葛飾北斎の墓」は、浅草通りから少し入った誓教寺の墓地内に胸像と共にあります。葛飾北斎は「富岳三十六景」「北斎漫画」などで有名の江戸時代の浮世絵師です。墓標には「画狂老人卍墓」(「卍」は北斎の雅号の一つ)とあり、辞世の句が刻まれています。お墓は東京都指定旧跡にも指定されています。毎年4月には「北斎忌」が開かれ、法要が営まれます。浅草にもゆかりのある画人を訪れてみるのもいいですね。
場所名 | 葛飾北斎の墓 |
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ジャンル | 史跡 |
所在地 | 東京都台東区元浅草4-6-9 |
川口松太郎句碑
「川口松太郎句碑」は浅草神社の鳥居をくぐって右手の3体ほど碑があるうちの一つです。個性的な自筆で「生きると いうこと むずかしさ 夜寒かな」と書かれた石碑があります。川口松太郎は明治時代に浅草今戸で生まれた小説、脚本家で、代表作に第一回直木賞受賞の「鶴八鶴次郎」があります。浅草神社には多くの碑があるようですので、石碑を見て回るのもいいですね。
場所名 | 川口松太郎句碑 |
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ジャンル | 史跡 |
所在地 | 東京都台東区浅草2-3-1 |
西仏板碑
「西仏板碑」は、浅草寺本堂の西側影向堂の前にある池のほとりに建つ板碑です。建立の年代も建立者の西仏についても明らかではありませんが、板碑は彼が妻子の後世安楽を祈って建立したもののようです。上部が破損してますが、制作時には3メートル近くあったようです。現在の板碑の高さは217.9cmあり、、釈迦の種子、蓮華座上に立つ尊像と小像、供花の宝瓶及び願文を刻んでいます。中世の信仰を知るうえで貴重な遺品で、東京都の指定文化財にも指定されています。
場所名 | 西仏板碑 |
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ジャンル | 史跡 |
所在地 | 東京都台東区浅草2-3-1 |
鳩ポッポの歌碑
photo by 浅草寺
「鳩ポッポの歌碑」は、浅草寺本堂の西側にあります。昭和37年に建立されました。童謡「鳩ポッポ」は、作詞家である東くめ女史が、浅草寺の境内にて鳩と戯れている子供たちをみて歌詞を書き、滝蓮太郎により作曲されました。石碑の上には鳩の石像も数羽あり、今も昔も浅草寺と鳩は切っても切れない関係がうかがえます。浅草寺にお参りの際に立ち寄ってみてはいかがでしょう。
場所名 | 鳩ポッポの歌碑 |
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ジャンル | 史跡 |
所在地 | 東京都台東区浅草2-3-1 |
花川戸助六の歌碑
浅草駅から江戸通りを言問橋方面に行く途中の路地を入ったところにある「花川戸助六の歌碑」は、明治12年に九世市川団十郎が中心となり、花川戸公園内の迎願寺に建立されました。関東大震災で崩壊し、後に現在地に再造立されました。碑面には「助六にゆかりの雲の紫を 弥陀の利剣で鬼は外なり」とあります。歌舞伎十八番の一つ「助六」は、代々の団十郎が伝えていますが、助六の実像は不明です。歌舞伎に興味のある方におすすめのスポットです。
場所名 | 花川戸助六の歌碑 |
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ジャンル | 史跡 |
所在地 | 東京都台東区花川戸2-4-15 |
暫像
浅草寺の北側の観光バスの駐車場広場にある「暫像」は、「劇聖」と賞賛された明治時代の歌舞伎役者、九代目市川団十郎(1838~1903)の歌舞伎演目「暫」の鎌倉権五郎の銅像です。現在の像は、十二代目市川団十郎(1946~2013)襲名を機に復元されたものになります。見得を切ったその姿は迫力があります。少し浅草寺からは離れていますが、歌舞伎愛好者だけでなく参拝の時には是非訪れてみたい場所です。
場所名 | 暫像 |
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ジャンル | 史跡 |
所在地 | 東京都台東区浅草2-3-1 |
戸田茂睡墓
浅草寺の北西側、淡島堂と伝法院の庭園の間に、石碑や銅像などが多く集められた一角があり、そこに「戸田茂睡墓」があります。戸田茂睡は江戸時代の歌人で、古典の研究を行い、伝統的な歌学が秘事口伝を主とし、師の歌説に門弟が盲従することに反対し、下河辺長流や契沖とともに国学の先駆となりました。墓石は牛込萬昌院より発見され、大正2年に浅草公園に移されたもので、東京都指定の旧跡にも指定されています。浅草寺にはほかにも多くの石碑があるので石碑めぐりもいいですね。
場所名 | 戸田茂睡墓 |
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ジャンル | 史跡 |
所在地 | 東京都台東区浅草2-3-1 |
浅草観音戒殺碑
「浅草観音戒殺碑」は浅草寺駒形堂の隣にある戒殺碑です。江戸時代元禄6年に浅草寺第四世宣存が願主となって建立されました。趣旨は「十町余の川筋で魚介の殺生を禁じる」というもので、浅草寺本尊が現れた霊地として、駒形堂を中心に南は諏訪町より、北は待乳山聖天にいたる川筋を魚介殺生禁断の地にしたそうです。その後の火災で倒壊して宝歴9年に造り直されています。元禄時代の信仰やその周辺の状況を明らかにする貴重な史跡に触れてみてはいかがでしょう。
場所名 | 浅草観音戒殺碑 |
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ジャンル | 史跡 |
所在地 | 東京都台東区雷門2-2-3 |
戦災いちょう
photo by 浅草・戦災樹木を伝える運動
「戦災いちょう」、別名戦災公孫樹は、浅草寺の本堂から東南に進んだ観音前警備派出所の手前にある一番大きないちょうの木のことを言います。
このいちょうの木は源頼朝公が浅草寺を参拝した際に挿した枝から発芽したと
言われており、樹齢は800年以上の大木です。昭和5年に天然記念物に指定されたのですが、戦災で大半の木が焼失してい、その中でも戦災をくぐり抜けた木が何本か残っていて神木と呼ばれ、参拝客に親しまれているそうです。
場所名 | 戦災いちょう |
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ジャンル | 史跡 |
所在地 | 東京都台東区浅草2-3-1 |