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    東京で1番重い千貫神輿は必見!鳥越祭りで有名な鳥越神社の御利益や歴史を知ろう!

    東京という場所を知る中で欠かせない下町。活気があり、下町の雰囲気を残しつつも現代的な文化を推し進めている場所として知られているのが浅草です。そして浅草から徒歩圏内に「蔵前」というエリアがあります。

    ここは浅草同様、昭和をイメージさせる建物を残しつつも、おしゃれなカフェや雑貨屋が数多く立ち並ぶ隠れ家的なスポットです。そしてここには歴史ある建造物である鳥越神社があり、毎年多くの人がこの場所を訪れます。浅草を観光した後に蔵前のおしゃれなカフェで休憩し、その後この鳥越神社を訪れるというのは、お勧めの観光コースです。

    目次

    日本一喧嘩が多い!?鳥越祭りで有名な鳥越神社の御利益や歴史

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    毎年6月中旬には恒例行事である鳥越祭りが開催されます。この祭りは日本で一番活気のある祭りではないかといわれるほどの盛り上がりを見せるもので、この時期には一年を通して最もたくさんの観光客がこの地を訪れます。ではこの神社の歴史や見どころ、そして鳥越祭りの様子について見ていくことにしましょう。

    都内でも長い歴史を誇る、鳥越神社の歴史

    この神社が創建されたのは飛鳥時代である白雉2年(651年)で、当時は「白鳥明神」という名前でした。しかしその後、この神社の名前が今の「鳥越神社」となる出来事が生じます。平安時代の後期に源義家が奥州征伐の際にこの地を訪れたとき、白い鳥の後を追っていくと隅田川の浅瀬にたどり着くことができました。

    この当時、隅田川を多くの軍勢と渡ることは源義家にとっては大問題であったために、白い鳥の導きは白鳥明神の加護であると源義家は考えたのです。このことに感激した源義家はそれに感謝の念を示し、「鳥越大明神」の社合を奉納しました。このときから「白鳥神社」は「鳥越神社」に名前を変えたのです。

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    その後この神社は長らく存在することとなりますが、それが続いたのは江戸時代まででした。本来この場所には鳥越神社、熱田神社、そして第六天榊神社の三社があり、約2万坪という広大な敷地を有していたのです。しかし元和6年(1620年)、江戸幕府は全国の天領からの米を収蔵するための蔵を作ることに力を入れ始めます。そしてそのあおりを受けたのが隅田川沿いにある土地で、熱田神社と第六天榊神社があった場所は没収されてしまうことになったのです。その結果これら2つは別の場所に移転し、鳥越神社だけがこの場所に残りました。現在、この鳥越神社が存在するのは〒111-0054、台東区鳥越2-4-1で、JR総武線「浅草橋駅」の西口から徒歩8分、都営浅草線「蔵前駅」から徒歩6分、そして都営大江戸線「新御徒町駅」から徒歩15分でたどり着くことができます。

    小さいながらも美しい鳥越神社の外観や特徴

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    「蔵前橋通り」を西に向かって歩くと、鳥越神社の鳥居が右手に見えてきます。そして鳥居の手前には「白鳥橋」という橋が掛かっています。この橋の名前を見た人は、もしかすると「なぜ白鳥橋?どうして鳥越橋ではないの?」と疑問に思う人がいるかもしれません。しかし前のセクションでも触れたように、この橋の名前は鳥越神社が以前は白鳥神社と呼ばれていたことに由来しているのです。鳥居を抜けて参道を歩くと、立派な拝殿が現れます。

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    その手前の両脇には大きな木が何本も植わっており、拝殿の美しさを際立たせています。そして木の前には狛犬の像が左右にそれぞれ一匹ずつ存在しており、拝殿を威厳のあるものとしています。
    また拝殿の左手には立派な神輿庫が存在します。後でご紹介することになりますが、ここには都内最大といわれる千貫神輿があり、鳥越祭りに欠かすことができない貴重なものが保管されているのです。

    安産や厄よけに!鳥越神社のご利益

    またこの鳥越神社には商売繁盛、安産や子育て、そして開運厄除などのご利益があるとされています。また鳥越神社子育て守りである、「笊かぶり犬張り子」は非常に有名で、これから出産を控える人や、小さな子供を持つ親御さんが購入しています。また最近では神社がパワースポットとして紹介されることも多く、活力を得るために鳥越神社を訪れる若者の姿も多くみられます。確かに自然に囲まれたこの神社周辺を歩くだけでも爽やかな気分を味わうことができ、リフレッシュした気持ちで物事に臨むことができます。

    千貫神輿が圧巻の鳥越祭り

    毎年6月中旬に行われるこの祭りの目玉は、何といっても都内一といわれる神輿です。これは千貫神輿という名前で呼ばれています。ちなみに「貫」とは重さの単位であり、それは約3.75キログラムに相当します。

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    つまり神輿の名前が「千貫」であることは、3.75キログラムを千倍した重さである、3,750kgとなるわけです。しかし実際の千貫神輿の重さはそのようなものではなく、これがいかに大きいのかを誇張する意味を込めて千貫神輿と名付けられました。毎年数日間行われる鳥越祭りですが、日曜日には千貫神輿を約200人ほどの氏子たちが担ぎます。この千貫神輿を先導するのが猿田彦や手古舞連、そして子供たちの持つ5色の旗で、終日全町内を練り歩きます。

    混雑必須。夜の宮入は早めの場所確保を!

    そして千貫神輿が宮入するのは夜になり、その頃には蔵前通りに数十個の高張り提灯が道路一杯に掲げられます。このとき祭りは最高の盛り上がりを見せるのです。当然のことながら見物客もかなりの興奮状態にあり、事故防止のために警察官が警備に入るほどです。千貫神輿の宮出しは朝の7時ですが、宮入りは何と夜の9時です。祭りを盛り上げるために長い時間、この神輿が担がれるのです。そして千貫神輿が宮入を迎えるのと同時に、鳥越祭りは終わりを迎えます。毎年この千貫神輿を見ようと、数十万の見物客がこの場所を訪れるといわれています。とりわけ夜の美しい風景と神輿による祭りの盛り上がりは最高であり、この時間帯の見物は鳥越祭りの中で一番人気であるといわれています。

    遠くから見るのも迫力がありますが、近くで見たい!撮影したい!という方は、早めの場所確保をお勧めします。

    出店や屋台、喧嘩の活気を体験しよう!

    またこの祭りの人気は、他では味わうことのできない活気にも起因しています。先にも述べたように夜の祭りの際は美しい景色と千貫神輿が相まって、見物客の興奮は最高潮に達します。しかし昼間の祭りは一味違います。実はこの鳥越祭りは、喧嘩が多いことでも有名なのです。非常に大きく、重たい千貫神輿を担ぎながら町内を歩くわけですから、氏子たちは相当の力を振り絞らなければなりません。またこの神輿を担いでバランスを取ることも容易ではありません。それでいてたくさんの見物客が押し合うわけですから、氏子たちは大声を張り上げて道を開け、神輿を担ぎます。そして見物客同氏もぶつかり合うために、怒鳴り散らす声があちこちから聞こえてくるのです。もちろん喧嘩はよくありませんが、祭りに夢中になって熱くなれる場ということで、この雰囲気を楽しむ人も大勢います。またこのような文化が引き継がれていることは、ここ蔵前が古き良き日本を見ることのできる下町であることを証明しているといっても過言ではありません。

    祭りの喧騒と、普段の静かさと、表情を変える鳥越神社

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    鳥越神社は非常に落ち着いた雰囲気の神社であり、周りには緑もたくさんあることから、心を落ち着かせるにはぴったりの場所です。しかしこのような場所も、鳥越祭りの際には全く異なる顔を見せるのです。こうした雰囲気の変化を楽しむのも、ここ鳥越神社の楽しみの一つかもしれません。神社見学の後、祭りの時期にここを訪れ、「この場所がこんなにも活気のある場所に変化するなんて」という驚きを感じるのも良いですし、逆に先に祭りを経験してから後ほど落ち着いた神社を訪れ、「本当はこんなに静かなところなんだ」という、少し切ない思いに耽るのも良いでしょう。

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