浅草寺の中で1番高い建築物と言えば、浅草寺の向かって左奥に位置する五重塔だよね!浅草のシンボルだけど、どんな歴史があるのか見てみよう。
目次
浅草寺にある五重塔の歴史
浅草寺の建造物14の諸堂のなかでも美しさとダイナミックさがある五重塔の紹介だよ。
「五重塔はいつからあるの?」
「『応永縁起』によると、942年(天慶5年)に平公雅が寄進したと記されているよ。」
「なぜ平公雅は寄進しようと思ったのかしら?」
「彼は、はじめ安房守だったんだけど、どうしても武蔵守になりたかったんだ。それで浅草寺に祈願した結果、武蔵守になることができたんだ。だから、お礼に五重塔を寄進したんだよ。」
「誰が再建したの?」
「三代将軍・徳川家光だよ。将軍の命により、慶安元年 (1648 年)に最後の木造建築となる五重塔が再建されたんだよ。」
「浅草寺の境内には五重塔跡の石碑があるけど、これはなに?」
「当時は、現在ある場所ではなく宝蔵門の東北、本堂の東南に建てられていたんだ。」
「再建された五重塔との違いはあるの?」
「違いはあるよ。再建されたものは、火災などの自然災害に強い鉄筋コンクリートで出来ているんだ。高さも前のものよりも15m高い 48.32m(地上、53.32m)なんだ。 児棟の羊角猿面瓦は、前の五重塔をもとに葺かれているんだよ」
「江戸には他にも五重塔はあるの?」
「あるよ。江戸時代には寛永寺、増上寺、天王寺に五重塔があって、それらとともに「江戸の四塔」の1つに数えられていたんだよ。」
「地震によって五重塔が倒れたりしたことはあったの?」
「地震でも五重塔は倒れたことは、なかったよ。1855年(安政2)におきた江戸の大地震や、1923年(大正12)に起きた関東大震災でも大きな破損もなく耐えてきたんだよ。1911年(明治44)浅草寺本堂と五重塔は国宝に指定されたよ。」
「でもどうして再建されたの?」
「昭和20年3月10日の空襲では、 二天門、伝法院、浅草神社は残ったものの 五重塔、浅草寺本堂、仁王門など浅草寺のほとんどの建物は焼失してしまったんだ。」
「それから、五重塔はいつ再建されたの?」
「 昭和33年の浅草寺本堂、35年には雷門、39年に宝蔵門、48年には五重の塔が再建されたんだ。 「塔院造り」という 回廊式塔院の上に五重塔を建てる技法が用いられているんだ。」
「五重塔の中には何が入っているの?」
「塔最上層の第五層には、 仏舎利が置かれているんだ。」
「仏舎利ってなに?」
「仏舎利とは、お釈迦様の遺骨のことだよ。昭和41年(1966年)3月18日にスリランカ国のイスルムニア王立寺院から正式にもらい請けたんだよ。」
「塔の中はどんな造りになっているの?」
「回廊式塔院の上に五重塔を建てる「塔院造り」の方法で再建されたんだ。」
「回廊式って?」
「回廊式とは建物などを取り囲むように造られているんだ。回廊式の塔院には霊牌殿があり 、1室毎に1躰の観世音菩薩を安置していて100躰の観音菩薩がいるよ。観世音菩薩様の周りには信徒たちの永代供養位牌が置かれているんだ。」
「第4層までは何があるの?」
「2-4層には信徒たちが奉納した五輪宝塔が置かれているんだ。霊牌殿、回向室、信徒休憩室、寺務所などがるよ。」
「そういえば浅草寺は、お寺さんだけどお墓がないね。どうなっているの?」
「浅草寺には通常の寺院のような檀家のためのお墓は設けていないんだ。希望する信徒には、永代供養の位牌を霊牌殿に安置しているんだ。現在では、一万数千以上の位牌が納められているんだ。生存中からの申し込みも受け付けているそうだよ。」
「五重塔牌殿の参拝をすることはできるの?」
「原則として、永代供養を申込まれた信徒とその親族であれば参拝することができるよ。それに、法要牌殿は、 毎月15日と 春秋彼岸、7月のお盆に参拝できるんだ。また、 涅槃会がある2月15日と 仏生会・花まつりが行われる4月8日、成道会が行われる12月8日、つまり年三回ある釈尊の三聖日と呼ばれる日は牌殿の参拝と五重塔最上層聖仏舎利の参拝ができるんだよ。」
浅草寺には五重塔以外にも見所が満点!浅草寺の見所を今一度チェックしてみましょう。
匿名 より:
男性 (~10代)
2021/11/21 10:33
スゴい