浅草寺にある14の諸堂のご紹介です。

浅草寺内には、いわゆる「お堂」が14箇所も存在しています。フラッと浅草寺を観光するだけではなかなか気がつかないポイントだったりしますので、事前にチェックをすると楽しみが倍になりますよ。

浅草の諸堂14個を全部紹介!

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何も知らずに観光をすると、雷門を見て、本堂を見て、五重塔を見て、二天門を見て…これくらいで終わってしまうかもしれないのですが、浅草寺の見所はそれだけではありません!14個全部回ってみてはいかがでしょうか?

1 雷門

雷門

浅草寺の玄関と言ってもよいのが、この雷門です。待ち合わせ場所や撮影スポットとしても有名ですね。この雷門は942年に駒形付近に、平公雅(たいらのきんまさ)が創建しました。鎌倉時代以降に、現在の場所に、新たに雷神・風神とともに奉安されました。風水害、火災からの除難目的で、二神を祀っています。正式には、”雷神風神門”と言われています。中央には、”雷門”の文字の提灯が飾られていますが、松下電器産業(現パナソニック)の松下幸之助さんの病気になり、浅草寺に拝んで治った際のお礼として、大きい提灯が贈られました。”雷門”の裏面には、”風雷神門”という表記になっています。重量が700キロあり、三社祭の神輿が通過するときと、天候悪化(強風時)の時は、破損を防ぐために提灯は畳まれます。
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2 宝蔵門(仁王門)

仁王門

942年に、平公雅(たいらのきんまさ)が建立しました。江戸時代、徳川家光によって、寄進建立が行われ、京都の曼殊院門跡(まんしゅいんもんぜき)良尚法親王ご染筆の「浅草寺」の扁額が掲げられています。この門は、仁王門と浅草寺宝物の収蔵庫を兼ねた建物となっています。正面の左右に木造仁王尊像を安置し、国宝の法華経と重要文化財の元版大蔵経を収めています。中央には、日本橋小舟町の人の寄進の提灯があり、”小舟町”と表記されています。宝蔵門裏には、魔除けと健脚の願いを込めて、”大わらじ”が掲げられています。

3 本堂

江戸時代、徳川家光により再建されて、明治40年には、国宝に指定されました。しかし、東京大空襲で、本堂は焼失してしまいました。この中で安置している本尊は、青銅製の天水鉢の中で、観音堂の地下3メートルにあらかじめ移していたため、難を逃れました。現在の本堂は、昭和33年位に再建されたものです。内陣中央には本尊を安置する宮殿(くうでん)があります。毎年12月13日に開扉法要があり、見れる時間は短いもの、”お前立ち”の観音像が公開されます。奥の秘仏本尊像は、公開されません。

宮殿の左右には梵天・帝釈天の二天がまつられています。ご本尊の脇侍(きょうじ・わきじ)としては内陣右奥に不動明王、左奥には愛染(あいぜん)明王がまつられています。 

4 五重塔

五重塔は、お釈迦さまのご遺骨を奉安する仏塔の形式の一つとされています。942年、平公雅(たいらのきんまさ)が、本堂とともに建立しました。倒壊や火災によって焼失を繰り返し、江戸時代、徳川家光により、本堂・仁王門ともに再建され、江戸四塔の一つとされています。東京大空襲にて、安置していた釈迦も焼失してしまいました。位置を本堂向かって右から左に変えて、現在に至っています。
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5 影向堂

観音さまのお説法や、ご活躍に不断に協力されている仏さまである”影向衆(ようごうしゅう)”さまをおまつりするお堂です。旧影向堂は、現淡島堂で二天門の脇にありました。

現在のお堂は、平成6年(1994)、浅草寺中興開山慈覚大師円仁(えんにん)さまのご生誕千二百年を記念して建立されました。堂内には浅草名所(などころ)七福神の内の大黒天をお祀(まつ)りし、浅草寺の御朱印所も併設されています。

6 薬師堂

薬師寺如来坐像を本尊とし、当初は観音堂の北方に位置していたため、”北薬師寺”と呼ばれていました。江戸時代、徳川家光により再建され、塀にかかる橋にあった三間四方のお堂は「橋本薬師堂」と改名されました。浅草寺に現存する古建築のうちの一つとされています 薬師如来以外にも、薬師の十二の大願に応じて現れた分身「十二神将(しんしょう)」、冥界で死者の罪業を裁く十王(じゅうおう)をまつっています。

7 淡島堂

元禄年間に、紀州加太(かだ)の淡島明神を勧請(かんじょう)してお堂が建立されました。現在の淡島堂は、戦後の仮本堂であった旧影向堂(ようごうどう)を移築・改修したもので、本尊は阿弥陀如来です。毎年2月8日には、裁縫道具の針をお豆腐に刺して、針への感謝を表す行事の”針供養”が行われます。

8 銭塚地蔵堂

昭和39年、再建の堂内に、四角い石塔の上に石の六地蔵尊が安置されています。塔の下には、”寛永通宝”が埋められていると言われています。これが、”銭塚”と命名される由来となっています。享保年間、摂津国有馬郡の山口某の妻が、「寛永通宝」がいっぱい入った壺を掘り当てたが、これを頼りにせずに、また、土の中に戻したことで、一家は繁栄したことで、商売繁昌したことに由来します。毎月「4の日」に法要が営まれ、特に正・5・9月の24日は「正五九」の大法要が行われています。参拝者は塩とお線香、お灯明のローソクを頒けてもらいお供えします。塩でお地蔵さまの御身を清める”塩なめ地蔵”が安置されています。

9 二天門

本堂の東側にあり、浅草神社の鳥居に向って右手に建つ朱色の門です。本瓦葺、切妻造り、木造朱塗り八脚門に、増長天(左)・持国天(右)をまつり重要文化財に指定されています。
1618年、浅草寺境内に徳川家康をまつる”東照宮”の門として豊岩間戸命(とよいわまどのみこと)・櫛岩間戸命(くしいわまどのみこと)の二神をまつり、建立されました。1642年に”東照宮”は、焼失し、それ以降、再建はされず、門だけが残っていました。2010年に、創建当初の形式ものとして、再建されました。
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10 お水舎

1964年浅草料理飲食業組合の寄進によって、浅草寺本堂の前に建立されました。

天井には「墨絵の龍」(東 韻光 画)、八角形錆御影石造りの手水鉢の上に、かつて本堂裏にあった噴水に安置されていた高村光雲作の龍神像(沙竭羅(さから)龍王像)をまつっています。

11 伝法院

浅草寺の本坊として建立され、以前は、観音院、智楽院と呼ばれていましたが、”伝法院”と呼ばれるようになりました。客殿・玄関、大書院、浅草寺貫首(かんす)大僧正のお居間があります。客殿に阿弥陀三尊をまつり、その左右に徳川歴代将軍のうち歴代11名の位牌及び浅草寺各世代住職の位牌を安置しています。

12 鎮護堂

浅草寺にある古いお堂、鎮護堂です。通称おたぬき様と呼ばれて親しまれています。このあたりのお堂は火事や戦火により焼失をしてしまっているお堂が多いなか、1883年から残っている貴重なお堂です。火を防ぐことや、盗みから身を守る守護神として世間から厚い信仰を得ています。

13 弁天堂

松尾芭蕉の歌である「花の雲 鐘は上野か 浅草か」とは、この弁天門にある鐘のことを指しています。その鐘がある弁天堂は、その白髪から「老女弁財天」といわれている弁天様を奉るお堂。浅草寺の除夜の鐘でもお馴染みですね。この弁天様が奉られている場所は少し小高くなっており、「弁天山」と呼ばれています。

14 駒形堂

ここだけは、浅草寺の中をいくら散策しても見当たりません。それもそのはずで、駒形橋のすぐ横にあるのです。むぎとろなどの有名店がある隣、小さな公園のようになっているお堂がこの駒形堂。なぜここだけ離れているのかというと、昔、檜前浜成(ひのくまのはまなり)と竹成(たけなり)という2人兄弟が、今の隅田川にあたる場所で仏像を拾い、その仏像を元に寺を作ったことが、現浅草寺のはじまりといわれているからです。その場所をお堂としたのがこの駒形堂なのです。少し浅草寺にからは離れていますが、スカイツリーもよく見える場所なので、足を運んでみてください。

浅草寺の情報はこちらでもっとチェックしてみてください!→浅草寺の見所紹介!おみくじ、ご利益などをチェック、また、浅草の寺、神社、歴史のある史跡などを一覧で見たい方は浅草のお寺、神社、史跡を巡るもチェックしてみてくださいね。

店名 浅草寺にある14の諸堂の紹介
住所 東京都台東区浅草2−3−1

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