MENU

    消えた浅草を歩く|凌雲閣・仁丹塔・映画館の跡をたどる街歩き

    消えた浅草を歩く。古い絵はがきとフィルムをモチーフにした街歩きガイド

    浅草には、もう見ることのできない名所があります。高い塔、映画の看板、華やかな舞台。けれど、建物が消えても、場所まで消えたわけではありません。いまの街角に昔の名前を重ねて歩くと、いつもの浅草が少し違って見えてきます。

    このガイドは、凌雲閣の歴史を一から解説するページではなく、仁丹塔・映画館・凌雲閣の跡を実際にたどるための街歩き案内です。田原町から六区へ、立ち止まって資料を読みながら60〜90分ほどの予定で。雷門・仲見世とは違う浅草を歩いてみませんか。

    田原町から始める、昭和の浅草の記憶

    仁丹塔跡|田原町の交差点から、昭和の目印を思い浮かべる

    田原町・国際通り広告塔の跡
    当時昭和の広告塔
    現在塔は現存しない
    見どころ交差点の空

    田原町から国際通りへ出ると、雷門通りがぶつかる交差点があります。ここで見上げるのは、塔ではなく、塔があった街角の空。西浅草1丁目のこの一角に立っていた仁丹塔は、浅草の昭和の風景を知るための出発点です。

    森下仁丹の年表には1932年の浅草大広告塔建設、広告ギャラリーには1954年の再建が記録されています。そして1986年、浅草広告塔は撤去されました。凌雲閣と仁丹塔は、別の場所にあった別の塔です。似た名前の「浅草十二階」で一つにまとめないことが、この散歩を楽しむ最初のコツ。

    この場所で見る:雷門通りから国際通りに出る位置を確かめ、昔の広告塔が街の目印になっていたことを想像してみましょう。現在の建物の屋上を、昔の塔の形そのものと取り違えないで。

    現在見るもの旧所在地周辺の街角。仁丹塔の建物は現存しません
    場所西浅草1丁目・雷門一丁目交差点付近(国際通り西側)
    歴史の区切り1932年建設/1954年再建/1986年撤去
    見学方法歩道から周辺を見る。展望台・館内見学はありません
    さらに詳細を表示(見学方法・資料・地図)
    案内プレート跡地の壁面プレートの紹介がありますが、現在の設置・見え方は現地で確認。プレートの見学を保証する立ち寄り先ではありません。
    塔の違い凌雲閣は明治期の展望施設、仁丹塔は企業の広告塔。住所も時代も別です。
    次の立ち寄り国際通りを北へ進み、六区の南側にある電気館跡方面へ。信号のある横断歩道を使います。
    一次資料森下仁丹の年表 / 1954年再建の広告塔の資料
    地図場所をGoogleマップで開く

    塔の年表だけでなく、浅草全体の変化も知りたい方は浅草の歴史ガイドへ。ここからは、広告の目印だった街から映画の街へ移ります。

    六区で、映画の街だった頃をたどる

    建物が残っていない跡地では、今の外観だけで歴史が分かるとは限りません。昔の名称・現在の住所・今の建物を一組にして見るのがコツです。電気館と浅草中映は、同じ六区でも別の場所です。

    電気館跡|映画が「いつも見られるもの」になった場所

    六区の南側映画館の跡
    当時常設の活動写真館
    現在電気館ビル
    見どころ映画の始まり

    1903年10月1日、浅草六区に日本初の活動写真の常設館として電気館が開館しました。台東区立中央図書館の調査では、開館時に着色映画「ロンドンの大火」を上映した記録も紹介されています。旅する上映会を待つのではなく、映画を見に、この場所へ行く。その新しい習慣を想像すると、何気ないビルの前も、映画好きには少し特別に見えてきます。

    映画館としての電気館は1976年までの歴史を持ち、当時の建物は残っていません。跡地周辺の目印は浅草1-42-4の電気館ビル。いま映画の上映を行う施設として案内しているのではなく、建物の名前から土地の記憶を読む立ち寄り先です。

    この場所で見る:「電気館」という名前に注目。映画館の外観や客席が残っているわけではないので、昔の写真は資料で、現在地はビルの名前で見比べます。

    現在見るもの電気館ビルの周辺・建物名。旧映画館の客席は見学できません
    場所台東区浅草1-42-4付近
    歴史の区切り1903年開館/1976年までの映画館の記録
    見学方法六区の公道から外観を見る
    さらに詳細を表示(見学方法・資料・地図)
    「常設」の意味上映する場所が定まった活動写真館。現代のシネコンと同じ設備・上映方式だった、という意味ではありません。
    昔の資料江戸東京博物館の収蔵資料「電気館 看板」には1903〜1976年の年代情報があります。資料ページで当時の名称をたどれます。
    現在の建物旧電気館と現在の電気館ビルは別の建物。商業施設・住宅の出入口へ見学目的で入らないようにしましょう。
    調査・収蔵資料台東区立中央図書館の電気館調査 / 東京都の博物館資料「電気館 看板」
    地図場所をGoogleマップで開く

    活動写真の街だった六区をもう少し広く知るなら浅草六区の歴史へ。現在の劇場や商業施設を見たい方は六区ブロードウェイのガイドで、昔と今を分けて探せます。

    浅草中映劇場跡|映画館の敷地が、ホテルへ受け継がれた

    六区ブロードウェイ用途の変化を見る
    当時映画館の敷地
    現在アネックス六区
    見どころ街の更新

    六区を北へ進むと、浅草ビューホテル アネックス 六区があります。松竹の公式資料では、この敷地を浅草中映劇場の跡地と説明しています。2020年に竣工した浅草六区松竹ビルには、現在このホテルが入っています。映画館があった場所の「その後」を、今の建物で確かめられるのが、この地点の面白さです。

    古い映画館がそのままホテルへ改装されたわけではありません。また、国際通りの浅草ビューホテル本館は国際劇場跡にある別の建物。二つのホテルを取り違えないように、ここでは「浅草2-9-10」「アネックス 六区」を目印にします。

    この場所で見る:現役のホテルの外観と、映画館跡という土地の来歴を並べて読む。映画館の看板や客席を探すのではなく、場所が別の用途で使われ続けていることを見ます。

    現在見るもの浅草六区松竹ビル/浅草ビューホテル アネックス 六区の外観
    住所台東区浅草2-9-10
    以前の用途浅草中映劇場の敷地
    見学方法公道から外観を見る。ホテル館内の利用は施設の案内に従う
    さらに詳細を表示(見学方法・資料・地図)
    今の建物地上10階、2020年4月竣工。松竹の現行物件案内でホテル入居を確認できます。
    混同しやすい点アネックス六区=浅草中映劇場跡。本館=浅草国際劇場跡。ホテル名が似ていても場所・来歴は別です。
    アクセス松竹の案内ではTX浅草駅徒歩2分。東武・銀座線・都営浅草線の浅草駅からは徒歩10分。
    公式資料松竹の竣工資料(PDF) / 現在の建物・住所の案内
    地図場所をGoogleマップで開く

    凌雲閣は「記念碑」と「レンガ展示」を分けて訪ねる

    浅草凌雲閣記念碑|見上げる塔から、足元の記録へ

    浅草2丁目記念碑
    当時浅草十二階
    現在記念碑
    見どころ文字を読む

    凌雲閣は1890年に開業し、浅草十二階の名で親しまれました。日本初の電動式エレベーターを備えた塔として知られますが、1923年の関東大震災で失われました。いま訪ねるのは展望台ではなく、塔があったことを伝える記念碑です。

    台東区の遺構マップが案内する記念碑の所在地は浅草2-14-5。塔が消えてしまったからこそ、文字を読むために一度立ち止まる散歩になります。建物の高さを断定して空へ線を引くより、「この街に近代の展望施設があった」という事実から周囲を眺めると、現在の六区との違いが見えてきます。

    この場所で見る:記念碑の名称と、そこで伝えられている内容を読む。次のレンガ展示とは別の地点なので、記念碑を見ただけで両方見たことにはしません。

    現在見るもの浅草凌雲閣記念碑
    場所台東区浅草2-14-5(台東区の遺構マップ掲載)
    歴史の区切り1890年開業/1923年の関東大震災で失われる
    見学方法記念碑を周囲の通行・施設利用の妨げにならない位置から見る
    さらに詳細を表示(見学方法・資料・地図)
    塔は登れる?凌雲閣は現存せず、展望台やエレベーターに乗る見学はできません。
    跡地との違い台東区は記念碑を浅草2-14-5、レンガ展示のある跡地を浅草2-13-10と別々に掲載しています。
    歴史を深く読む当時の開業や震災の経緯は、当サイトの凌雲閣の記事へ。街歩きは記念碑と展示の現在地を中心に回ります。
    行政の案内台東区・関東大震災遺構マップ(PDF)
    地図場所をGoogleマップで開く

    建物の歴史は浅草十二階・凌雲閣の個別記事へ。仁丹塔との違いも、場所と時代を分けて読むと理解しやすくなります。

    凌雲閣跡の壁面展示|絵図とレンガから、失われた塔を読む

    浅草2丁目壁面展示
    当時展望塔の跡
    現在絵図とレンガ
    見どころ記念碑と別地点

    記念碑とあわせて見たいのが、浅草2-13-10の壁面展示です。台東区の遺構マップでは、凌雲閣の絵図を拡大した壁面表示と、発見されたレンガの展示を紹介しています。塔の全体像を伝える絵と、建物の一部を伝えるレンガ。文字だけとは違う、二つの手がかりを見比べられる地点です。

    2018年の工事でレンガ造の基礎が見つかったことも記録されています。ただし、工事現場や地下の基礎を自由に歩ける遺跡公園ではありません。現在の展示を見ることと、発掘当時の現場を見に行くことは別。周囲の営業や通行を尊重しながら、壁面の案内を読みましょう。

    2018年の凌雲閣基礎発見を紹介した工事現場の記録写真
    当サイトの凌雲閣記事で紹介している2018年の工事時の記録写真。現在の壁面展示や、見学できる地下空間の写真ではありません。

    この場所で見る:絵図で塔の輪郭をつかんでから、展示のレンガに目を移す。「大きな建物がなくなった」ことが、小さな材料から実感できるかもしれません。

    現在見るもの壁面の凌雲閣絵図とレンガ展示(区の案内)
    場所台東区浅草2-13-10
    きっかけ2018年の工事中にレンガ造基礎を発見
    見学方法公開されている壁面表示を外から見る
    さらに詳細を表示(見学方法・資料・地図)
    記念碑と別前の浅草2-14-5の記念碑とは別地点。地図では二つの住所を分けて確認してください。
    現地の状態壁面の見え方や展示周辺の通行状況は現地案内を優先。立入禁止場所や工事区域に入るコースではありません。
    写真との違い掲載した工事時の写真は過去の資料。いま発掘現場を見られるという意味ではありません。
    行政の案内台東区・レンガ展示と跡地の案内(PDF)
    地図場所をGoogleマップで開く

    最後に、昭和の大劇場があった場所へ

    国際劇場跡|余力があれば、国際通りの大劇場の記憶へ

    国際通り寄り道
    当時大劇場とレビュー
    現在ビューホテル本館
    見どころ通りの広がり

    塔と映画館を見たあとに、もう少し歩きたいなら国際通りの浅草ビューホテル本館へ。ここは、かつて浅草国際劇場があった敷地です。松竹の歴史には1937年の開場と1982年の閉場が記録され、松竹歌劇団のレビューを支えた大劇場として紹介されています。

    国際劇場は、電気館のような映画専門館と同じものではありません。映画と舞台、展望塔と広告塔。同じ「消えた浅草」でも、街の楽しみ方は一つではなかったと感じられる締めくくりです。旧劇場の客席や舞台は残っておらず、今のホテルを外から見る寄り道として回ります。

    この場所で見る:六区の細かな店並びから、国際通り沿いの大きな敷地へ。建物のデザインではなく、文化・興行を受け止めてきた場所の広がりを感じる寄り道です。

    現在見るもの浅草ビューホテル本館の外観(旧国際劇場跡)
    住所台東区西浅草3-17-1
    歴史の区切り1937年開場/1982年閉場
    見学方法国際通りの公道から見る。旧舞台・客席の見学はありません
    さらに詳細を表示(見学方法・資料・地図)
    別のホテル浅草2-9-10のアネックス六区とは別。本館の所在地は西浅草3-17-1です。
    歴史資料松竹の歴史:国際劇場の開場・閉場 / 松竹歌劇団と大劇場の歩み
    現在の施設浅草ビューホテル公式
    地図場所をGoogleマップで開く

    食事や宿泊で今の施設を利用したい場合は浅草ビューホテルのランチ記事へ。史跡の外観を見る散歩と、有料の館内利用は分けて予定を立てましょう。

    60〜90分の街歩きコース|田原町から六区へ

    全部をじっくり見る日は、田原町を出発点にして北へ。下の時間は写真・資料を読む立ち寄りを含めた計画の目安で、実測値や混雑時の保証ではありません。買い物・喫茶を入れるなら、さらに余裕を持たせてください。

    1. 仁丹塔跡の街角田原町から国際通りへ。広告塔と展望塔の違いを知る。
    2. 電気館跡・電気館ビル六区の南側へ。現在の建物名から映画館の記憶を読む。
    3. 浅草中映劇場跡・アネックス六区六区ブロードウェイを北へ。映画館敷地の現在を見る。
    4. 浅草凌雲閣記念碑浅草2-14-5へ。文字で塔の来歴を読む。
    5. 凌雲閣跡の絵図とレンガ展示浅草2-13-10へ。記念碑と別の地点で、絵図と材料を見る。
    6. 国際劇場跡・ビューホテル本館国際通りへ出て、昭和のレビューの舞台だった敷地を眺める。

    30〜45分に絞るなら:六区の電気館跡から入り、凌雲閣の記念碑とレンガ展示を中心に。仁丹塔と国際劇場の寄り道を別の日に分けると、資料を読む時間を削らずに済みます。TX浅草駅から六区へ入る場合も、この短い回り方が組みやすいでしょう。

    休憩を入れるなら浅草の休憩スポットガイド、散歩後に食べる場所も決めたいなら食べ歩きと飲食スペースの案内へ。史跡の前や他店の出入口で飲食しながら立ち止まらず、休憩する場所は別に選びます。

    同じ場所に、違う時代が重なっている

    年号を全部暗記する必要はありません。明治の展望塔、活動写真の街、昭和の広告塔と大劇場、そして現在のホテルという順に考えると、一つの「古い浅草」ではないことが分かります。

    1890年
    凌雲閣が開業。浅草十二階として親しまれる。
    1903年
    電気館が活動写真の常設館として開館。
    1923年
    関東大震災で凌雲閣が失われる。
    1932年
    森下仁丹が浅草に大広告塔を建設。
    1937年
    浅草国際劇場が開場。
    1954年
    仁丹の浅草大広告塔が再建される。
    1976年
    電気館の映画館としての記録がここまで続く。
    1982年
    浅草国際劇場が閉場。
    1986年
    浅草の仁丹広告塔が撤去される。
    2018年
    凌雲閣のレンガ造基礎が工事中に見つかる。
    2020年
    浅草中映劇場跡に、浅草六区松竹ビルが竣工。

    昔の写真を見てから歩くと、街の見え方が変わる

    出発前に当時の写真を一枚見て、現地では今の道と建物を眺める。帰ってからもう一度資料を見る。そんな順番も、この散歩には合います。台東区立図書館のデジタルアーカイブには、電気館や仁丹塔跡などの地域資料があり、年号を付けた写真から、その時点の街の姿を確かめられます。

    台東区立図書館:1984年の電気館跡の写真 / 台東区立図書館:1995年の仁丹塔跡の記録。古い写真に写る店が今も営業している、という意味ではないので、見る年代を意識して楽しんでください。

    いまの浅草の楽しみも組み合わせるなら浅草の演芸場・劇場ガイドへ。消えた建物をたどる日と、現在の舞台で過ごす日をつなげると、浅草の芸能の街としての顔を楽しめます。

    資料照合:2026年10月7日。台東区の遺構マップ、図書館・博物館の資料、森下仁丹・松竹の公式記録を中心に歴史と所在地を整理しています。現地への訪問調査ではありません。掲載写真は2018年の記録で、現在の展示状態を保証するものではありません。各地点の立入・撮影は現地の案内を優先してください。

    目次