池波正太郎さんは日本を代表する作家です。代表作の「鬼平犯科帳」や「剣客商売」などを始めとしてテレビなどで彼の作品を目にする事も多いですね。そして作品は江戸の下町を舞台とした作品などもあり、下町をこよなく愛していた作家だったそうです。

そんな日本を代表する作家池波正太郎さんの記念館が東京都台東区にあることをご存知でしょうか?下町育ち、しかも作家としての活動だけでなく美食家とも知られていた池波正太郎さんは下町にも行きつけの店などもあった事でしょう。池波さんにとってはこの場所にこのような施設がある事は大変うれしいと思います。

池波正太郎記念館

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浅草は文豪に愛された街であり、樋口一葉記念館など、文学に関係する施設も多くあります。今、いろいろな施設が並び注目を集める台東区にある池波正太郎記念館と池波正太郎さんについてまとめてみましたので、池波正太郎さんのファンはもちろん、日本文学を読んでみたい!という方も、ぜひ一度知ってみてくださいね!

池波正太郎とはどんな文豪だったのか?

池波正太郎さんは日本を代表とする作家です。これは何度も触れておりますが時代小説や歴史小説においては他の追随を許さない程の作家だと思います。代表作もたくさんありどれをとっても力の入った作品で、特徴として長編やシリーズ物が多いです。また美食家としても知られその事は代表作の中でも料理描写は細かくその分野での著書もあります。また男の作法をこだわりを持って書かれた作品もありますので古き良きダンディーな男と言えるでしょう。

池波正太郎の生涯と浅草・日本

名作を残す池波正太郎さんいったいどんな人だったのでしょうか?

浅草に生まれた池波正太郎の幼少期

1923年1月25日に東京都浅草に生まれます。問屋街に務める父母の元、正太郎は長男として生まれる。折しもこの年に関東大震災が起きそのまま埼玉に移り幼少期はこの地で過ごします。そして数年後東京に戻るのですが、両親は離婚してしまいます。母親について行った正太郎は浅草の祖父の元で小学校時代を過ごします。この時、正太郎は画家を目指していました。学業は優秀であったのですが家庭の事情で仕事に就き、奉公の後国民労災訓練所に入所しました。奉公先でのチップなどでお金を貯めていた正太郎はそのお金を元に読書、観劇、映画そして歌舞伎といろいろな面で自身の為に投資しました。これが後に作品に生きてきたと思われます。

少年から成年へと成長する過程には太平洋戦争もありましたが、積極的に軍に参加して現場にいましたがこの頃には「夫人画像」にスケッチを投稿したりして入選をして小遣いを稼いでいましたが終戦時には岐阜県の方へと引っ越しました。

この時期の日本は戦争の騒乱の中で生きるか死ぬかの中で今と違い進学も出来ないような状況があったのですが、正太郎のようにいろいろな手段で向上心を磨く方法を探しつつ頑張って自分の好きな道を進んでいこうとしていました。浅草の商店街には現在でも名残が残っています。浅草地下商店街がまさしくそれで現在でも昭和レトロを感じさせてくれます。現在で50年程経っているのでちょうどこの時期にその原型が出来てきていたと考えられます。今でも裏観光名所(仲見世や雷門を表として)としてコアな人気を誇ります。浅草駅から入っていくのでアクセスも分かりやすいです。日本の騒乱の時期を支えた商店街の雰囲気と活気あふれる芸術家たちの息吹を感じられるかもしれません。全体的に安く本当の意味での下町を感じる事が出来そうです。

感性を磨いた青年期

正太郎は太平洋戦争終戦前後に赴任していた岐阜県より東京の方へ戻ってきました。そして区役所職員の傍ら、帝国劇場などで観劇などをして更なる学びの向上心を磨いていきます。そしてこの頃から文章を書く事を本格的に初めて行きます。読売新聞の演劇文化賞に向けて「雪晴れ」を執筆します。この作品は劇場で上演されました。そして「南風の吹く窓」で入選しますが、まだ役所の職員として働いていました。

1948年になると戦後の混乱も収まってきている中で正太郎も作家として動き始めます。劇作家として有名な長谷川伸の元を自分の作品を持ちこみ訪ねます。この当時は劇作家としての活動が多かったのですが、その中で辰巳柳太郎らと交流を持ち小説を書いていくようになります。

終戦直後の日本は復興に向けて動き出すのはまだ時間がかかります。正太郎は下谷区の役職員でした。この下谷区は1947年に廃止となり、台東区に組み込まれました。この当時は浅草区が存在しておりこの二つの区が台東区に組み込まれていきます。この区の特筆するべき所は多くの著名人を輩出している所です。小沢一郎さんや高村光太郎さん、渥美清さん、林家三平さんといろいろな業界で第一線で活躍した方々が多いです。また芸術家が多い事も特筆すべきことです。

位置的には浅草・本所・深川に並ぶ東京の下町と言えます。現在では台東区の西側になります。アメヤ横丁(アメ横)がこの地域に出来たのもこの時代でした。また下谷に住んでいた人々を総称として「下谷っ子」と呼ばれよく呼ばれる江戸っ子の一つに数えられていました。この地域は現在では秋葉原や上野公園などが入っていたので現在の東京の観光名所などが集約されていた事を考えると日本の重要な地域で働いていた事が分かります。

小説化人生の始まる青年期2

劇作家として演出まで手掛けるようになった正太郎は更なる飛躍を見せます。後年には映画の評論をした書物を出版しているのはこの時の経験が役にたっているのでしょう。この頃から小説家との活動が始まります。目黒区の役場で働くようになり、「牧野富太郎」や「風林火山」などを出版していく中で大衆文芸誌に定期的に投稿していくのですが、この頃から歴史小説に重点を置くようになります。1956年には直木賞の候補にも選ばれます。この時は惜しくも賞を逃していますが1960年代に入りオール讀物で発表した「錯乱」で直木賞を受賞するなど作家としての地位も充実してきます。その後も次々と作品を各雑誌に発表します。プライベートではこの時に音信不通であった父とあっています。
1950年から1960年代の日本は過渡期として安保闘争の最中でありました。その動きは浅草にも多少なりとも影響しております。浅草の写真があるのですが現在の東南アジアのような不思議な雰囲気を醸し出しています。高度成長とも合わせ商業の中心としての銀座から浅草に移っていく流れも見え始め、高級なお店から大衆店が人気を博すようになります。踊り場と呼ばれる社交場も銀座から浅草に移り大衆演芸も浅草を中心に人気を博すようになっていきます。東京オリンピックの影響もあるのかもしれません。ただ写真だけを見ると雷門は今と変わらぬ姿が特に印象的です。

作家として充実期

直木賞を受賞して作家としての地位が固まりつつあった正太郎は更に創作を重ねます。時代小説を中心に執筆を続けていきます。1967年には現在でも人気のある「鬼平犯科帳」の第一作を発表します。この小説は大きな反響を呼び評価を更に高めていきます。鬼平犯科帳の一作品が舞台化されるなど、正太郎の代表作となっていきます。

更に1972年には「剣客商売」を発表します。更に同じ年に「仕掛人・藤枝梅安」を発表するなど現在でも代表作と呼ばれるものを次々と世に送り出します。この仕掛人藤枝梅安はテレビでも必殺仕掛人として連続ドラマとして放送され現在でも形を変え親しまれています。「真田太平記」もこの頃に発表されています。

1962年に都営地下鉄浅草線が東銀座から人形町の開通をします。更に1968年には泉岳寺まで開通して計画していた浅草線の全面開通となります。この地下鉄ができる事で浅草へのアクセスが容易になり観光客を呼べるようになったのですが、テレビの普及と共に映画館の閉館が始まり少し寂しい時代へとなっていきます。

池波正太郎の晩年

1970年代に次々と代表作を発表した正太郎はこの三代シリーズを中心に創作活動は手を緩める事無く続けていきました。その一方で趣味である食の本を発表したり人生指南書のような「おとこの地図」などエッセイ集を発表したりしています。1977年には吉川英治賞を受賞し、真田太平記も舞台化されるなど充実した活動を送ります。

少し変化があるとすれば80年代に入りヨーロッパに旅行に行きその事をヒントに「ドンレイの雨」やヨーロッパ旅行のエッセイを執筆しています。しかしメインは鬼平・梅安・剣客のこの3つのシリーズを定期的に発表しています。平成に入ると体調を壊す事もあり連載が休載する事もあり、この頃は剣客商売だけを連載していました。1990年に入ると更に体調を崩す事が多くなり、同年5月3日に67歳でこの世を去りました。現在は浅草西光寺に眠っています。

この時期は高度成長からバブル景気へと日本が上昇気流に乗っている時代でした。しかしまだこの時期の浅草は他の地域に人をとられ寂しい様子があったみたいです。2000年代に入ると浅草サンバカーニバルの盛り上がりなどでまた注目を集めるのですが、この時代は少し元気がなかった時代と言えるでしょう。

グルメ家池波正太郎の愛した浅草の店で食事を

作家としての池波正太郎さんも有名ですが、美食家としても池波正太郎さんは有名です。よく言われているのが作品に登場する食事が丁寧に描かれている事が興味深いと言われています。またたくさんの食に関する書籍も多くその知識はプロ顔負けと言われます。

現在でもその作品に登場する料理のレシピを放送する番組もありました。池波ファンは彼が愛した料理店を回るツアーなどをしている人もいますが多すぎて回れない程です。東京のいろいろな所を軒並み食べ歩いていたみたいなのですが、それをすべて紹介するには多すぎるので彼の地元浅草に絞って紹介します。

まず名前が出て来るのが「藪そば」です。このお店は彼が愛した店として大変有名です。生粋の江戸っ子の彼とそばの相性は抜群です。つゆが濃いめなので軽くつけてさっとすするような食べ方が粋な様です。

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天ぷらですと「中清」と「天藤」によく顔を出していたようです。鮨ですと「美家古」と「金寿司」で日本料理は「一連」「草津」ウナギ料理は「前川」珍しい所でどじょう料理を扱う「駒形どぜう」「飯田屋」、お好み焼きは「染太郎」、軍鶏料理は「鳥栄」、居酒屋は「松風」菓子屋の行きつけは「蛸松月」と和菓子の「うさぎや」とこれだけでもすごい数ですが、更に洋食屋さん(このような言い方が合うようなお店です)は「ヨシカミ」と「リスボン」と喫茶店「アンジェラス」も忘れていけません。

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幅広い食の知識は彼の作品の中で存分に披露され小説の中でおいしいそうという声があります。どの店も古くからある老舗のお店が多いです。浅草駅周辺に店が並んでいるのでぶらっと散策するのも楽しいかもしれません。また今でもどの店も評価が高いです。値段も高い店が多いのかと思われますが大衆向けのお店の方が多くリーズナブルに食べられる物もあるので入りやすいかもしれません。
この他にも銀座や神田にも行きつけのお店をたくさんもっています。食をこよなく愛しおいし物を常に追求する事がライフワークとなっていたのかもしれません。

池波正太郎の作品とその世界観

池波正太郎の作品の中で有名なのが「鬼平犯科帳」「仕掛人・藤枝梅安」「剣客商売」の3大シリーズです。現在でも親しまれています。テレビなどで長く続き今でもスペシャルドラマなどでも放送されるなど人気が高いです。そしてこれらの作品には共通するのは全てが完璧な人間ではないという事です。どこかダークな部分を持ちこの人が人を裁くのかという事を思わせるのですが、それだからこそ悪を裁けると言えます。これには池波正太郎の育った環境が影響していると言えます。決して聖人君子ではなく自由に自分の信念に基づく行動が似ているのかもしれません。

そして鬼平などは特に正太郎が育った浅草を舞台にしております。時代背景はちょうど幕末の安定から混乱へと向かう時期なのですが実在の人物長谷川平蔵をモデルとして描かれているこの物語は元々が浅草御厩河岸という話からの派生となっているようにこの下町を中心として描かれています。特に両国周辺は長谷川平蔵が活躍した場所として有名です。この名所の中には弥勒寺や料亭井筒なども含まれ現在でも史跡を巡るツアーもあります。

次に梅安も一癖もある主人公を中心にとにかく悪を懲罰します。この作品はこの梅安だけでも有名ですが、この小説を叩き台に必殺シリーズが生み出された事は有名です。下町を舞台に正義のヒーローとは言えませんが法で裁けない悪を非合法で裁いていきます。

剣客は無外流の達人秋山小兵衛が彼の代表作として有名で仲間達と江戸の世を守る話です。この物語もドラマに何度もなるほど人気のある作品です。ただ梅安と剣客商売に関しては彼が死んだため未完のままとなっています。

池波正太郎記念館について

池波正太郎さんが死後数年経ちますが、彼の作品は根強い人気を誇ります。そしてその事を表すのはドラマや舞台が残っている現代であるという事以外に池波正太郎記念館があります。彼の愛した下町に立つこの場所はファンからしたら聖地でしょう。

台東区と長野県にあるのですが、長野県の方は真田太平記を中心とした記念館となります。ここでは台東区にある池波正太郎記念文庫の方を取り上げます。台東区浅草にあるこの場所は台東区の図書館が管理しています。アクセスも浅草駅から数分と近く浅草の街を散策しながら行けるという利点があります。浅草に生まれ下町を舞台とした庶民的な時代小説を書いた彼の功績を称え作られました。展示物も貴重な物ばかりで特に目を引くのが昔の地図などを用いた作品の概要を伝えている事です。
場所も浅草駅周辺となり各地下鉄(東京メトロ)の駅からもアクセスしやすく浅草寺や鬼子母神なども近くにあり少し歩くと隅田川も望め下町を満喫できます。観光のサブとしてもいいですし、じっくり見学して気分転換に他の観光地にもアクセスしやすいです。上野からもそう遠くはないので裏東京観光としてもいいかもしれません。

文豪、池波正太郎のまとめ

下町をこよなく愛し粋な男として生きた池波正太郎さんは今なお彼の作品と共に生きています。彼の作品を読み感じるのは善悪を完全に区別せずどちらにも言い分があると思わせる事と人情を感じさせる物語の展開です。現在でもいろいろな形で新しく彼の作品が世に出て来るのはそのような希薄となった人情を求める事が多いのかもしれません。

そして美食家と知られた彼は実に食に対する知識が深くいろいろな場所でいろいろな食を食べ、それを自分の作品で丁寧に描き続けました。食の本のクオリティーの高さは時代が変われど評価され続けています。更に忘れていけないのは彼が下町っ子として粋であったことです。男の生き方を説く読み物を晩年にはいくつか残していますし、また彼の作品を読むことが粋でもあるようです。

下町というよりは日本の情を大事にした池波正太郎のような粋な男は今後出てこないような気もします。彼の作品の登場人物は彼そのものだったのかもしれません。その彼の作品が今でも愛されるという事は日本が失ってはいけない事があるという事を教えてくれているのかもしれません。

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カテゴリ:歴史, 見る・遊ぶ タグ:

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